目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
顔の横で揺れる銀糸を、武骨な指に掬われながら。
落ち着いた声音で告げられた言葉に、私は暫し呆けてしまいました。
間の抜けた私の表情にヴァルト様は苦笑なさると、先日とは打って変わって長閑な庭園をご覧になりました。
「体が戻ったら、一旦お前を伯爵邸に戻そうと思っていたんだが……お前がいない静かな執務室が妙に落ち着かなくてな」
「え、私がうるさいと言外に仰っていませんこと」
「多忙を理由にして王宮に留め置く方法を考えていた。だがお前はお前で早く帰らせろと侍女に言うし」
「は、え!?」
だから暫く私は放置されていたんですの!? 王宮に長居させる理由を考えるために!? 侍女が慌ただしくヴァルト様へ報告に上がったのも、まさかそれが原因でしたの!?
いろいろと混乱を露わに固まっていると、ヴァルト様は少々ばつが悪そうに眉を顰められました。
「……初めてその体に入ったときは、嫌でも母上を思い出したものだ。こんな虚弱そうな娘が今頃、俺の代わりになっているのかと」
「え……いえ、私は別に虚弱ではっ」
「ああ。お前自身は生命力に満ちていて、毎日驚くほど元気で安心する」
「そ、それ褒め言葉ですわよね?」
「勿論」
大きな手に背中を抱き寄せられ、私はもう限界まで顔が赤くなっていることでしょう。それでもヴァルト様は構うことなく、耳元でお話を続けられました。
「自分のことを可憐だのか弱いだの言いながら、いつも思いきった真似をするから一つも退屈しない。……気付けば、お前の望みや言葉を聞くのを楽しみにしている自分がいて──舞踏会の日には、いよいよ認めざるを得なかった」
「……!」
「体が完全に戻った後も、この娘と共に過ごせやしないかと願う自分に」
胸が強く絞られるような感覚に耐え兼ね、私はヴァルト様の肩に額を押し付けました。
「リシェル」
「は、い」
「一度、伯爵夫妻のためにも屋敷には帰すが……すぐに迎えに行く。構わないか」
背中を撫でるついでに頬を上げさせられ、額が付くほどの距離で私は小さく頷きました。するとヴァルト様は見るからに嬉しそうな笑みを零し、からかうような声で囁かれます。
「その間に婚約者探しを再開するなよ」
「し、しませんわよ! やっと初恋叶って有頂天の乙女を舐めんじゃねーですわ……って、だから先程あんなにも嫌そうなお顔を」
「何のことだ」
「うわ、何て白々しい……」
私はそこまで喋ったところで、はたと動きを止めます。
ヴァルト様が不思議そうに眉を上げる傍ら、私は意を決して、おずおずと申し上げてみました。
「……ヴァルト様、私のお願い聞いてくださいます?」
「ああ」
「し、仕切り直しを希望いたしますわ」
「仕切り直し……?」
「ですから」
私は震える指先を持ち上げ、ヴァルト様の顎に羽のような軽さで触れ。
「……薬の、口移しではなくて、その」
さすがに皆まで言うことは叶わず口籠ってしまいましたが、何となく意図は伝わったようです。
ふと微笑を浮かべたヴァルト様は、私の背中を引き寄せようとして──逡巡。
「……ここ、別に花畑でもなければ月光降り注ぐテラスでもないが良いのか。相場が決まってるんだろ」
「へ? …………あ!? ちょ、それ聞こえてましたの!?」
「あれだけ大声で叫んでいればな」
「もう忘れてくださいましっ、何故ヴァルト様はそういうことばっかり覚えていますのぉ!?」
「不思議とお前の発言が頭に残るだけだ」
ということは先日の口移しについて一切触れてこなかったのも、私の願望たっぷりな理想のファーストキスを考慮して、何も無かったことにしてくださっていたのでしょうか。
またもや恥ずかしさやら何やらで赤くなった私に笑い、ヴァルト様はおもむろに頬を擽りました。
「あとはダンスの予約もされたな」
「……してくださいますの?」
「断る理由がない。お前の願いは意外と些細なものばかりだからな」
「意外とって──」
あ、と思ったときには既に、唇がやわらかく塞がれておりました。
勝手が分からず力むばかりの私を抱きすくめ、ヴァルト様は触れ合わせた皮膚をゆっくりと離しました。
「……入れ替わった相手がお前で良かった。リシェル」
甘い感触に未だ胸が高鳴って仕方がない私でしたが、何とかその言葉を飲み込んでは、心からの笑顔で応じたのでした。
「私もですわ、ヴァルト様」
──突如として降りかかった珍妙な災難は、伯爵令嬢としての生き方しか知らなかった私に、多くのものを与えました。
両親より授かりし肉体を離れたことで、私は初めて己の真価を問われたような気がするのです。優れた容姿も身分も抜きにして、リシェル=ローレントという一個人が持つ魂は、如何ほどのものなのかと。
そうして迷い不安になったとき、寄り添ってくれる人がいることが、どれだけ幸せで貴重であることなのかも。
「……あと少し筋肉も頂いてしまいましたわね……」
「何だ」
「何も!」
以前よりも些か引き締まった腹部を触りつつ、私は書き終えたお手紙に封をしました。
「それ、誰宛てだ?」
「未来の自分宛てですわ。決意表明みたいなものです」
「……? そうか」
振り返ると、そこにはいつもの気取らない格好ではなく、式典用の華やかな盛装に身を包んだヴァルト様がいらっしゃいました。
かく言う私もまた、王宮から頂いた豪華な桃色のドレスを身に纏っています。
本日ようやく迎えた立太子の儀。
そして私リシェル=ローレントが、ヴァルト=フォン=ベルデナーレ様の婚約者として、正式に公表される日でもありました。
「行くか、リシェル」
「はい、ヴァルト様!」
差し出された大きな手に指先を乗せて、私はヴァルト様と共に歓声の中へと向かったのでした。
落ち着いた声音で告げられた言葉に、私は暫し呆けてしまいました。
間の抜けた私の表情にヴァルト様は苦笑なさると、先日とは打って変わって長閑な庭園をご覧になりました。
「体が戻ったら、一旦お前を伯爵邸に戻そうと思っていたんだが……お前がいない静かな執務室が妙に落ち着かなくてな」
「え、私がうるさいと言外に仰っていませんこと」
「多忙を理由にして王宮に留め置く方法を考えていた。だがお前はお前で早く帰らせろと侍女に言うし」
「は、え!?」
だから暫く私は放置されていたんですの!? 王宮に長居させる理由を考えるために!? 侍女が慌ただしくヴァルト様へ報告に上がったのも、まさかそれが原因でしたの!?
いろいろと混乱を露わに固まっていると、ヴァルト様は少々ばつが悪そうに眉を顰められました。
「……初めてその体に入ったときは、嫌でも母上を思い出したものだ。こんな虚弱そうな娘が今頃、俺の代わりになっているのかと」
「え……いえ、私は別に虚弱ではっ」
「ああ。お前自身は生命力に満ちていて、毎日驚くほど元気で安心する」
「そ、それ褒め言葉ですわよね?」
「勿論」
大きな手に背中を抱き寄せられ、私はもう限界まで顔が赤くなっていることでしょう。それでもヴァルト様は構うことなく、耳元でお話を続けられました。
「自分のことを可憐だのか弱いだの言いながら、いつも思いきった真似をするから一つも退屈しない。……気付けば、お前の望みや言葉を聞くのを楽しみにしている自分がいて──舞踏会の日には、いよいよ認めざるを得なかった」
「……!」
「体が完全に戻った後も、この娘と共に過ごせやしないかと願う自分に」
胸が強く絞られるような感覚に耐え兼ね、私はヴァルト様の肩に額を押し付けました。
「リシェル」
「は、い」
「一度、伯爵夫妻のためにも屋敷には帰すが……すぐに迎えに行く。構わないか」
背中を撫でるついでに頬を上げさせられ、額が付くほどの距離で私は小さく頷きました。するとヴァルト様は見るからに嬉しそうな笑みを零し、からかうような声で囁かれます。
「その間に婚約者探しを再開するなよ」
「し、しませんわよ! やっと初恋叶って有頂天の乙女を舐めんじゃねーですわ……って、だから先程あんなにも嫌そうなお顔を」
「何のことだ」
「うわ、何て白々しい……」
私はそこまで喋ったところで、はたと動きを止めます。
ヴァルト様が不思議そうに眉を上げる傍ら、私は意を決して、おずおずと申し上げてみました。
「……ヴァルト様、私のお願い聞いてくださいます?」
「ああ」
「し、仕切り直しを希望いたしますわ」
「仕切り直し……?」
「ですから」
私は震える指先を持ち上げ、ヴァルト様の顎に羽のような軽さで触れ。
「……薬の、口移しではなくて、その」
さすがに皆まで言うことは叶わず口籠ってしまいましたが、何となく意図は伝わったようです。
ふと微笑を浮かべたヴァルト様は、私の背中を引き寄せようとして──逡巡。
「……ここ、別に花畑でもなければ月光降り注ぐテラスでもないが良いのか。相場が決まってるんだろ」
「へ? …………あ!? ちょ、それ聞こえてましたの!?」
「あれだけ大声で叫んでいればな」
「もう忘れてくださいましっ、何故ヴァルト様はそういうことばっかり覚えていますのぉ!?」
「不思議とお前の発言が頭に残るだけだ」
ということは先日の口移しについて一切触れてこなかったのも、私の願望たっぷりな理想のファーストキスを考慮して、何も無かったことにしてくださっていたのでしょうか。
またもや恥ずかしさやら何やらで赤くなった私に笑い、ヴァルト様はおもむろに頬を擽りました。
「あとはダンスの予約もされたな」
「……してくださいますの?」
「断る理由がない。お前の願いは意外と些細なものばかりだからな」
「意外とって──」
あ、と思ったときには既に、唇がやわらかく塞がれておりました。
勝手が分からず力むばかりの私を抱きすくめ、ヴァルト様は触れ合わせた皮膚をゆっくりと離しました。
「……入れ替わった相手がお前で良かった。リシェル」
甘い感触に未だ胸が高鳴って仕方がない私でしたが、何とかその言葉を飲み込んでは、心からの笑顔で応じたのでした。
「私もですわ、ヴァルト様」
──突如として降りかかった珍妙な災難は、伯爵令嬢としての生き方しか知らなかった私に、多くのものを与えました。
両親より授かりし肉体を離れたことで、私は初めて己の真価を問われたような気がするのです。優れた容姿も身分も抜きにして、リシェル=ローレントという一個人が持つ魂は、如何ほどのものなのかと。
そうして迷い不安になったとき、寄り添ってくれる人がいることが、どれだけ幸せで貴重であることなのかも。
「……あと少し筋肉も頂いてしまいましたわね……」
「何だ」
「何も!」
以前よりも些か引き締まった腹部を触りつつ、私は書き終えたお手紙に封をしました。
「それ、誰宛てだ?」
「未来の自分宛てですわ。決意表明みたいなものです」
「……? そうか」
振り返ると、そこにはいつもの気取らない格好ではなく、式典用の華やかな盛装に身を包んだヴァルト様がいらっしゃいました。
かく言う私もまた、王宮から頂いた豪華な桃色のドレスを身に纏っています。
本日ようやく迎えた立太子の儀。
そして私リシェル=ローレントが、ヴァルト=フォン=ベルデナーレ様の婚約者として、正式に公表される日でもありました。
「行くか、リシェル」
「はい、ヴァルト様!」
差し出された大きな手に指先を乗せて、私はヴァルト様と共に歓声の中へと向かったのでした。