目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
番外編
白鳥と黒豹
しんと静まり返った王宮の回廊。
手摺の奥に広がる空間をじっと見詰めていた黒髪の娘は、次第に聞こえてきた騒々しい足音に小さく溜息をつく。
白鷹の騎士団に属する証でもある白い制服をサッと整え、彼女はその場で深く頭を垂れた。
「ミア!! 待たせたな!!」
「私の名はミヤビです、殿下。お帰りなさいませ」
階段を駆け上がってきたのは、純白の衣装に身を包んだ第二王子マクシムだった。
この王子、巷では「白鳥のごとき美貌を台無しにするアホ王子」として非常に有名である。ミヤビの生まれた遥か東の愁国にさえ、そんな不名誉かつ不敬も甚だしい噂が広まっているほどだ。
第一王子ヴァルトが勇猛な英雄として讃えられている一方、マクシムは様々な場面で頻繁に扱き下ろされている。勉学はおろか武術の才もなく、きらびやかな衣装にばかり興味を示す、救いようのない王子だと。
正統な血筋だからという理由だけで彼を絶賛するのは、それこそゲイル公爵を始めとした胡散臭い第二王子派の貴族だけだろう。
では何故ミヤビがこのようなアホ王子の側で仕えているのか、というと。
「はぁ──疲れた」
今の今まで浮かべていた満面の笑みが跡形もなく溶ける様を、ミヤビは真顔で眺める。
彼女の視線を物ともせず、マクシムは綺麗に整えた金髪をぐしゃぐしゃに搔き乱してしまった。最中、脱いだ真っ白な上着を言葉もなく預かれば、彼が静かに笑う。
「何か」
「いや? それよりミア、命令通りここにいたな。良い子だ」
手が塞がったところを突かれ、ミヤビは大人しく頭を撫でられるしかなかった。
「……私も白鷹の一員です。何故待機を命じられたのですか」
「だってお前まで謹慎処分になってしまったら、誰が僕の癒しになってくれるんだ?」
「知りませんよ。私は癒しなどではなく殿下の盾です」
すげなく言い放つと、マクシムがおどけたように手を放した。
と、そのとき彼の胸元が開け、ミヤビはかっと頬を赤らめてそっぽを向く。
「早くお部屋に戻ってください。そのようなお姿、他の者に見られたらどうするのです」
「僕はそういう反応のことを言っているのだぞミア」
限界まで顔を背けていたミヤビの手から上着が奪われ、マクシムが笑いながら歩を進める。その背を渋々と追いかけたミヤビは、密かに肩を落としたのだった。
──笑い者の道化が仮面を外すとき、奴が浮かべているのは観衆に勝る嘲笑だ。
今や表舞台に立つことも儘ならぬ母親から「王太子殿下」と呼ばれ続け、猛る狂気をぶつけられて育った第二王子。結果、出来上がったのがこの化物だった。
マクシムは、言ってしまえば最初から王位に興味を示していなかった。
母を狂わせたのは他でもない王族の血であり、彼女を無闇に囃し立てた第二王子派の者たちだと、マクシムは幼い頃から既に悟っていたのだ。
だからこそ彼は王位に関心どころか嫌悪を抱き、周囲への不信感ばかりを募らせていった。
だが──それでも母親の前では明るく振る舞っていたと聞く。
もはや昔のように社交界へ出ることもない母には、マクシムが王太子に選ばれていないという事実も伝わらない。ゆえに、あえて失望させるような発言をしなかっただけのこと。
「母上を病ませた奴らは全員、まとめて処理するつもりだ。ああ勿論、兄上の手柄としてな」
「……何故それを、新人の私に?」
「うん? 愁国の人間は口が堅い。あとミアが気に入った」
「鳥肌が立ちました」
「そういうところだ」
白鷹の騎士団に入って間もなく、ミヤビはアホ王子ことマクシムの本性を知ることになった。
王位を嫌い、自身の血を疎むマクシムは、何も実の兄を次期国王として崇拝しているわけでもなく。曰く、鬱陶しい貴族をこの王宮から完全に排除することだけを考えて生きてきたという。
ミヤビは最初こそ恐怖した。普段、皆の前でバカ騒ぎしているマクシムの姿が、途端におぞましく映ったものだ。
しかし──。
「今日でようやく終わりだな。最終的に公爵が自爆したよ」
「左様でございますか。ヴァルト殿下とリシェル嬢はご無事で?」
「兄上は腕を負傷したが、まあ大丈夫だろう。額から流血していても気付かないような人だ」
「それは意識が朦朧としていらっしゃるのでは」
王宮に謎のダチョウが乱入したという話は聞いたが、どうやらその騒動で全ての決着がついたようだ。本来ならミヤビもマクシムの側に就いているはずだったのだが、彼から待機命令を下され止む無く屋内でじっとしていた次第である。
聞けば、ゲイル公爵が第二王子の指揮下にある白鷹の騎士団を無断で使役し、ヴァルト王子を殺害しようとしたという。ここ暫く第二王子派の貴族が尽く弾劾されたことで自暴自棄になっていたのだろうが、些か暴れすぎたらしい。
「さて、ミア。邪魔者もいなくなったことだし、僕はさっさと王子を辞めてくるよ」
「は?」
自室へ到着するなり、欠伸をしながら告げられた言葉に、ミヤビは瞠目した。
顔を上げると、そこには相変わらずだらしのない格好で、流し目にこちらを見下ろすマクシムがいる。
「ご苦労だったな、ミア」
手摺の奥に広がる空間をじっと見詰めていた黒髪の娘は、次第に聞こえてきた騒々しい足音に小さく溜息をつく。
白鷹の騎士団に属する証でもある白い制服をサッと整え、彼女はその場で深く頭を垂れた。
「ミア!! 待たせたな!!」
「私の名はミヤビです、殿下。お帰りなさいませ」
階段を駆け上がってきたのは、純白の衣装に身を包んだ第二王子マクシムだった。
この王子、巷では「白鳥のごとき美貌を台無しにするアホ王子」として非常に有名である。ミヤビの生まれた遥か東の愁国にさえ、そんな不名誉かつ不敬も甚だしい噂が広まっているほどだ。
第一王子ヴァルトが勇猛な英雄として讃えられている一方、マクシムは様々な場面で頻繁に扱き下ろされている。勉学はおろか武術の才もなく、きらびやかな衣装にばかり興味を示す、救いようのない王子だと。
正統な血筋だからという理由だけで彼を絶賛するのは、それこそゲイル公爵を始めとした胡散臭い第二王子派の貴族だけだろう。
では何故ミヤビがこのようなアホ王子の側で仕えているのか、というと。
「はぁ──疲れた」
今の今まで浮かべていた満面の笑みが跡形もなく溶ける様を、ミヤビは真顔で眺める。
彼女の視線を物ともせず、マクシムは綺麗に整えた金髪をぐしゃぐしゃに搔き乱してしまった。最中、脱いだ真っ白な上着を言葉もなく預かれば、彼が静かに笑う。
「何か」
「いや? それよりミア、命令通りここにいたな。良い子だ」
手が塞がったところを突かれ、ミヤビは大人しく頭を撫でられるしかなかった。
「……私も白鷹の一員です。何故待機を命じられたのですか」
「だってお前まで謹慎処分になってしまったら、誰が僕の癒しになってくれるんだ?」
「知りませんよ。私は癒しなどではなく殿下の盾です」
すげなく言い放つと、マクシムがおどけたように手を放した。
と、そのとき彼の胸元が開け、ミヤビはかっと頬を赤らめてそっぽを向く。
「早くお部屋に戻ってください。そのようなお姿、他の者に見られたらどうするのです」
「僕はそういう反応のことを言っているのだぞミア」
限界まで顔を背けていたミヤビの手から上着が奪われ、マクシムが笑いながら歩を進める。その背を渋々と追いかけたミヤビは、密かに肩を落としたのだった。
──笑い者の道化が仮面を外すとき、奴が浮かべているのは観衆に勝る嘲笑だ。
今や表舞台に立つことも儘ならぬ母親から「王太子殿下」と呼ばれ続け、猛る狂気をぶつけられて育った第二王子。結果、出来上がったのがこの化物だった。
マクシムは、言ってしまえば最初から王位に興味を示していなかった。
母を狂わせたのは他でもない王族の血であり、彼女を無闇に囃し立てた第二王子派の者たちだと、マクシムは幼い頃から既に悟っていたのだ。
だからこそ彼は王位に関心どころか嫌悪を抱き、周囲への不信感ばかりを募らせていった。
だが──それでも母親の前では明るく振る舞っていたと聞く。
もはや昔のように社交界へ出ることもない母には、マクシムが王太子に選ばれていないという事実も伝わらない。ゆえに、あえて失望させるような発言をしなかっただけのこと。
「母上を病ませた奴らは全員、まとめて処理するつもりだ。ああ勿論、兄上の手柄としてな」
「……何故それを、新人の私に?」
「うん? 愁国の人間は口が堅い。あとミアが気に入った」
「鳥肌が立ちました」
「そういうところだ」
白鷹の騎士団に入って間もなく、ミヤビはアホ王子ことマクシムの本性を知ることになった。
王位を嫌い、自身の血を疎むマクシムは、何も実の兄を次期国王として崇拝しているわけでもなく。曰く、鬱陶しい貴族をこの王宮から完全に排除することだけを考えて生きてきたという。
ミヤビは最初こそ恐怖した。普段、皆の前でバカ騒ぎしているマクシムの姿が、途端におぞましく映ったものだ。
しかし──。
「今日でようやく終わりだな。最終的に公爵が自爆したよ」
「左様でございますか。ヴァルト殿下とリシェル嬢はご無事で?」
「兄上は腕を負傷したが、まあ大丈夫だろう。額から流血していても気付かないような人だ」
「それは意識が朦朧としていらっしゃるのでは」
王宮に謎のダチョウが乱入したという話は聞いたが、どうやらその騒動で全ての決着がついたようだ。本来ならミヤビもマクシムの側に就いているはずだったのだが、彼から待機命令を下され止む無く屋内でじっとしていた次第である。
聞けば、ゲイル公爵が第二王子の指揮下にある白鷹の騎士団を無断で使役し、ヴァルト王子を殺害しようとしたという。ここ暫く第二王子派の貴族が尽く弾劾されたことで自暴自棄になっていたのだろうが、些か暴れすぎたらしい。
「さて、ミア。邪魔者もいなくなったことだし、僕はさっさと王子を辞めてくるよ」
「は?」
自室へ到着するなり、欠伸をしながら告げられた言葉に、ミヤビは瞠目した。
顔を上げると、そこには相変わらずだらしのない格好で、流し目にこちらを見下ろすマクシムがいる。
「ご苦労だったな、ミア」