とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
自宅に帰ると、奥から綾芽が顔を出した。起きていたふうだが、表情はぼんやりしていて寝起きにも見える。
「おかえりなさい」
「ただいま。昼間は電話して済まなかった。俺のせいで起きたんじゃないか?」
「いえ……大丈夫です」
「じゃあ、俺は夕飯を────」
その時、俊介は聖に言われたことを思い出した。自分がやると言えば、綾芽は必ず遠慮するだろう。だが、彼女にさせると余計に負荷をかけないか心配になる。
「────綾芽さん、もし手伝えそうなら野菜切ってくれないか? 俺はちょっと下ごしらえがややこしい料理をしなくちゃいけないんだ」
そんな料理は作るつもりなどないが、嘘も方便だ。綾芽は少し驚いたようだが、分かりましたと頷いた。
「どれを切ったらいいですか?」
ひとまず、綾芽が反応を返してくれたことに安堵した。
それからはとにかく綾芽が気を使わず済むように、嫌なことに思考を割かずに済むようになるべく綾芽の横で過ごした。一緒にテレビを見たり、ニュースのことを話したり────。最初はゆっくり寝かせたほうがいいと思ったが、そうすると綾芽が一人で悩みそうで心配だった。
────そうだ、結婚式のことを伝えておかないと。
二人でソファに座ってテレビを見ていた時だった。俊介は早めに伝えておこうと話を切り出した。
「綾芽さん、聖の本堂の結婚式のことなんだが────もし来れなさそうなら、無理しなくても大丈夫だからって聖が」
綾芽の表情は一瞬悲しみに歪んだ。だが、彼女はそうですか、と言って俯いた。
「怒ってるわけじゃない。聖も心配してるんだ。結婚式に来なくてもいつでも会える。だから────」
「気を遣わせてすみませんでした……」
綾芽はすっと立ち上がるとベッドルームの方へ行ってしまった。
誤解されてしまっただろうか。綾芽を邪険にしているわけではない。本堂も聖も、そして自分も綾芽のことを心配しているのだ。
だが、今の綾芽にはそれも重たいだけのようだった。
俊介が風呂から上がると、綾芽はもう既に眠っているようだった。まだ眠る時間には少し早いが、俊介も眠ることにした。
俊介がベッドに横になると、やけに綾芽が遠く感じた。それほど広いベッドではないのだが、綾芽が端の方で寝ているようだ。そのせいか布団が擦れて綾芽の上半身が剥き出しになっていた。風邪を引いてはよくないと、俊介は布団をそっと綾芽の肩にかけた。
やがて俊介も微睡の中に落ちたが、寒かったのか途中で目が覚めた。薄目を開けて枕元の時計を確認すると、横になってからまだ一時間ほどしか経っていなかった。早く眠り過ぎたのかもしれない。
もう一度眠ろう────と、目を閉じた時だった。小さく音が聞こえた。それは自分の隣、綾芽の方から聞こえた。綾芽が起きているのだろうか。綾芽は背を向けていて起きているのかわからない。
それはまるで鼻をすするような音だった。聞き耳を立てていると、小さく嗚咽が聞こえてきた。だが、我慢しているのか声は小さく、微かに彼女の肩が揺れているのが見えた。
────綾芽、俺にまで隠れて泣かなくちゃいけないのか……?
俊介はやるせなかった。綾芽は泣くほど辛いのに、どうして隣にいる自分に何も言ってくれないのだろう。決まっている。綾芽は人に迷惑をかけることを嫌う。心配をかけるのを嫌う。だからこうして誰も気付かないところで泣いているのだ。
隣にいる綾芽を抱きしめてやりたいのに、そうすることができなかった。自分が抱きしめれば綾芽はまた負担に思うのではないか────。そんな思いが邪魔をして、綾芽との間にはいつまでも隙間が開いたままだった。
「おかえりなさい」
「ただいま。昼間は電話して済まなかった。俺のせいで起きたんじゃないか?」
「いえ……大丈夫です」
「じゃあ、俺は夕飯を────」
その時、俊介は聖に言われたことを思い出した。自分がやると言えば、綾芽は必ず遠慮するだろう。だが、彼女にさせると余計に負荷をかけないか心配になる。
「────綾芽さん、もし手伝えそうなら野菜切ってくれないか? 俺はちょっと下ごしらえがややこしい料理をしなくちゃいけないんだ」
そんな料理は作るつもりなどないが、嘘も方便だ。綾芽は少し驚いたようだが、分かりましたと頷いた。
「どれを切ったらいいですか?」
ひとまず、綾芽が反応を返してくれたことに安堵した。
それからはとにかく綾芽が気を使わず済むように、嫌なことに思考を割かずに済むようになるべく綾芽の横で過ごした。一緒にテレビを見たり、ニュースのことを話したり────。最初はゆっくり寝かせたほうがいいと思ったが、そうすると綾芽が一人で悩みそうで心配だった。
────そうだ、結婚式のことを伝えておかないと。
二人でソファに座ってテレビを見ていた時だった。俊介は早めに伝えておこうと話を切り出した。
「綾芽さん、聖の本堂の結婚式のことなんだが────もし来れなさそうなら、無理しなくても大丈夫だからって聖が」
綾芽の表情は一瞬悲しみに歪んだ。だが、彼女はそうですか、と言って俯いた。
「怒ってるわけじゃない。聖も心配してるんだ。結婚式に来なくてもいつでも会える。だから────」
「気を遣わせてすみませんでした……」
綾芽はすっと立ち上がるとベッドルームの方へ行ってしまった。
誤解されてしまっただろうか。綾芽を邪険にしているわけではない。本堂も聖も、そして自分も綾芽のことを心配しているのだ。
だが、今の綾芽にはそれも重たいだけのようだった。
俊介が風呂から上がると、綾芽はもう既に眠っているようだった。まだ眠る時間には少し早いが、俊介も眠ることにした。
俊介がベッドに横になると、やけに綾芽が遠く感じた。それほど広いベッドではないのだが、綾芽が端の方で寝ているようだ。そのせいか布団が擦れて綾芽の上半身が剥き出しになっていた。風邪を引いてはよくないと、俊介は布団をそっと綾芽の肩にかけた。
やがて俊介も微睡の中に落ちたが、寒かったのか途中で目が覚めた。薄目を開けて枕元の時計を確認すると、横になってからまだ一時間ほどしか経っていなかった。早く眠り過ぎたのかもしれない。
もう一度眠ろう────と、目を閉じた時だった。小さく音が聞こえた。それは自分の隣、綾芽の方から聞こえた。綾芽が起きているのだろうか。綾芽は背を向けていて起きているのかわからない。
それはまるで鼻をすするような音だった。聞き耳を立てていると、小さく嗚咽が聞こえてきた。だが、我慢しているのか声は小さく、微かに彼女の肩が揺れているのが見えた。
────綾芽、俺にまで隠れて泣かなくちゃいけないのか……?
俊介はやるせなかった。綾芽は泣くほど辛いのに、どうして隣にいる自分に何も言ってくれないのだろう。決まっている。綾芽は人に迷惑をかけることを嫌う。心配をかけるのを嫌う。だからこうして誰も気付かないところで泣いているのだ。
隣にいる綾芽を抱きしめてやりたいのに、そうすることができなかった。自分が抱きしめれば綾芽はまた負担に思うのではないか────。そんな思いが邪魔をして、綾芽との間にはいつまでも隙間が開いたままだった。