とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
第26話 メリークリスマス
綾芽は窓から見える景色を遠くに見つめながらぼんやりと佇んだ。
こうして家に引き籠るようになってもう何日経っただろうか。相変わらず仕事にはいけないまま、こうして日がなぼんやりと外を見て、寝てを繰り返していた。
最初の頃は俊介も過保護にしていたが、最近はそれもなくなった。内心呆れているのかもしれない。こんな自分に────。
綾芽は惨めだった。仕事をしてやっと真っ当な人間になれたのに、それが無くなったらただの駄目人間だ。まるでニートみたいな生活だ、と自分を鼻で笑った。
病院からもらった薬はきちんと飲んでいたが、症状が改善される兆しはなかった。ただ日中かなり眠たくなって、睡眠不足だけは解消されたようだ。
しかし気分の落ち込みはあまりよくなっていない。ひとりでいる時はまだマシだが、俊介といると家を飛び出したくなる時がある。
一緒にいると甘やかされている自分を叱られているような気分になって、息が出来ないのだ。俊介が喋る言葉の裏に別の意味があるのではないか。本当は自分のことを邪魔に思っているのではないか────そんなふうにばかり考えてしまう。
また勝手に涙が流れてきた。綾芽はぼたぼたと床にこぼれ落ちた涙をじっと見つめた。ここ最近はずっとこうだ。涙なんて随分前に枯れたと思っていたが、まだ残っていたらしい。
ベランダの窓を開けた。外はもう夜だが、街の明かりが空に反射して夕暮れのように見えた。
ふっと下を覗く。こうして真下を見ると、とても高かった。一瞬、ここから降りれば死ねるだろうかと考えた。そんな勇気はなかったが。
再び部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。こんなことまで考える自分が情けなくて辛かった。また涙が出てくる。
あれから何度か考えた。この部屋を出て、元の家に帰ろうと。空き巣のことは心配だが他に家を探せばいい。引越し資金はあまりないが、敷金礼金のいらない家だってあるのだ。
これ以上俊介の世話になりたくなかった。俊介だって自分の生活があるのだ。同棲の誘いはうれしかったが、今はそれを受けられるだけの心の余裕がなかった。
重たいのだ。全てが────。
俊介は穏やかで優しい。いつも気を遣ってくれて、自分の父親とは間反対の人間だ。
だが、だからこそ思う。澱みに慣れきった自分には、俊介が眩しすぎる。最初出会った頃も感じていた。俊介の真っ直ぐな思いが、自分には辛かった。それから少しは甘えることを覚えたが、やはり人間根本的なところは変えられないらしい。
借金さえなければこの性格も少しはまともになっただろうか。いや、それだけではないだろう。
俊介とは何もかもが違いすぎる。育った環境も、価値観も。普通の人間にとっては何気ない一言でも自分にとっては鋭利なナイフになるのだ。
どうして自分は俊介と付き合おうと思ったのだろうか。少しも釣り合っていないのに、なぜ見合うなどと思ったのだろう。辛いだけだ。一緒にいても。
俊介は七時頃に帰ってきた。いつもより少しだけ遅い帰宅だ。
「ただいま。今日は少し残業があって遅くなったんだ」
俊介はそう説明したが、いつもはこの時間に帰っていたのかもしれない。自分が家にいるから、なるべく定時で帰るようにしていたのだろう────そう思うと、綾芽はなんだか申し訳なくなった。
「綾芽さん、今日の夕飯は外に食べに行かないか?」
「外、ですか」
「聖にいい店を教えてもらったんだ。綾芽ちゃんが好きそうだから是非って」
綾芽は少し考えた。外に出れば気分転換になるかもしれない。だが、正直気が進まない。食欲もなく、食べに行ったところでほとんど残してしまいそうだ。
「……俊介さんが食べに行きたいなら、付いていきます」
「俺はいいんだ。綾芽さんが楽しんでくれるかなと思っただけだから」
「なら……いいです。今はあまり食欲がないので……」
綾芽は小さい頃のことを思い出した。父親からおもちゃを買ってもらった時のことだ。そのおもちゃは小さな人形で、家の近所の子供も持っているような当時子供たちに人気のおもちゃだった。
自分はそれが欲しいなどとは一言も言っていないが、何かの拍子に気を良くした父親はそのおもちゃを買ってきた。自分はそのおもちゃを貰うなり次の日には道に投げて捨てた。
いらないから捨てたのではない。それを受け取ってはいけないように思えたからだ。父親の愛情なんてもはや期待していなかったが、それを受け取って喜ぶことで、自分が父の愛情を期待してしまうように思えた。
だから人形を捨てて、自分は父の愛情なんていらないと自らそれを否定したのだ。厚意を受け取ることは自分にとってリスキーなことだ。期待すればその分傷付くのだから。だから今俊介の誘いを断ったのも、そうなのかもしれない。
俊介はそうか────と少し残念そうに笑った。
「なら、またいつか行こう。店が閉まるわけじゃないしな」
そう言ってキッチンに向かった。
────私がいても、俊介さんを傷付けるしか出来ない。
いつかのように笑って過ごすことが出来ればいいが、今はそれも難しい。自分の心も疲れている。俊介も疲れている。このままでは、俊介まで道連れにしてしまうかもしれない。
こうして家に引き籠るようになってもう何日経っただろうか。相変わらず仕事にはいけないまま、こうして日がなぼんやりと外を見て、寝てを繰り返していた。
最初の頃は俊介も過保護にしていたが、最近はそれもなくなった。内心呆れているのかもしれない。こんな自分に────。
綾芽は惨めだった。仕事をしてやっと真っ当な人間になれたのに、それが無くなったらただの駄目人間だ。まるでニートみたいな生活だ、と自分を鼻で笑った。
病院からもらった薬はきちんと飲んでいたが、症状が改善される兆しはなかった。ただ日中かなり眠たくなって、睡眠不足だけは解消されたようだ。
しかし気分の落ち込みはあまりよくなっていない。ひとりでいる時はまだマシだが、俊介といると家を飛び出したくなる時がある。
一緒にいると甘やかされている自分を叱られているような気分になって、息が出来ないのだ。俊介が喋る言葉の裏に別の意味があるのではないか。本当は自分のことを邪魔に思っているのではないか────そんなふうにばかり考えてしまう。
また勝手に涙が流れてきた。綾芽はぼたぼたと床にこぼれ落ちた涙をじっと見つめた。ここ最近はずっとこうだ。涙なんて随分前に枯れたと思っていたが、まだ残っていたらしい。
ベランダの窓を開けた。外はもう夜だが、街の明かりが空に反射して夕暮れのように見えた。
ふっと下を覗く。こうして真下を見ると、とても高かった。一瞬、ここから降りれば死ねるだろうかと考えた。そんな勇気はなかったが。
再び部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。こんなことまで考える自分が情けなくて辛かった。また涙が出てくる。
あれから何度か考えた。この部屋を出て、元の家に帰ろうと。空き巣のことは心配だが他に家を探せばいい。引越し資金はあまりないが、敷金礼金のいらない家だってあるのだ。
これ以上俊介の世話になりたくなかった。俊介だって自分の生活があるのだ。同棲の誘いはうれしかったが、今はそれを受けられるだけの心の余裕がなかった。
重たいのだ。全てが────。
俊介は穏やかで優しい。いつも気を遣ってくれて、自分の父親とは間反対の人間だ。
だが、だからこそ思う。澱みに慣れきった自分には、俊介が眩しすぎる。最初出会った頃も感じていた。俊介の真っ直ぐな思いが、自分には辛かった。それから少しは甘えることを覚えたが、やはり人間根本的なところは変えられないらしい。
借金さえなければこの性格も少しはまともになっただろうか。いや、それだけではないだろう。
俊介とは何もかもが違いすぎる。育った環境も、価値観も。普通の人間にとっては何気ない一言でも自分にとっては鋭利なナイフになるのだ。
どうして自分は俊介と付き合おうと思ったのだろうか。少しも釣り合っていないのに、なぜ見合うなどと思ったのだろう。辛いだけだ。一緒にいても。
俊介は七時頃に帰ってきた。いつもより少しだけ遅い帰宅だ。
「ただいま。今日は少し残業があって遅くなったんだ」
俊介はそう説明したが、いつもはこの時間に帰っていたのかもしれない。自分が家にいるから、なるべく定時で帰るようにしていたのだろう────そう思うと、綾芽はなんだか申し訳なくなった。
「綾芽さん、今日の夕飯は外に食べに行かないか?」
「外、ですか」
「聖にいい店を教えてもらったんだ。綾芽ちゃんが好きそうだから是非って」
綾芽は少し考えた。外に出れば気分転換になるかもしれない。だが、正直気が進まない。食欲もなく、食べに行ったところでほとんど残してしまいそうだ。
「……俊介さんが食べに行きたいなら、付いていきます」
「俺はいいんだ。綾芽さんが楽しんでくれるかなと思っただけだから」
「なら……いいです。今はあまり食欲がないので……」
綾芽は小さい頃のことを思い出した。父親からおもちゃを買ってもらった時のことだ。そのおもちゃは小さな人形で、家の近所の子供も持っているような当時子供たちに人気のおもちゃだった。
自分はそれが欲しいなどとは一言も言っていないが、何かの拍子に気を良くした父親はそのおもちゃを買ってきた。自分はそのおもちゃを貰うなり次の日には道に投げて捨てた。
いらないから捨てたのではない。それを受け取ってはいけないように思えたからだ。父親の愛情なんてもはや期待していなかったが、それを受け取って喜ぶことで、自分が父の愛情を期待してしまうように思えた。
だから人形を捨てて、自分は父の愛情なんていらないと自らそれを否定したのだ。厚意を受け取ることは自分にとってリスキーなことだ。期待すればその分傷付くのだから。だから今俊介の誘いを断ったのも、そうなのかもしれない。
俊介はそうか────と少し残念そうに笑った。
「なら、またいつか行こう。店が閉まるわけじゃないしな」
そう言ってキッチンに向かった。
────私がいても、俊介さんを傷付けるしか出来ない。
いつかのように笑って過ごすことが出来ればいいが、今はそれも難しい。自分の心も疲れている。俊介も疲れている。このままでは、俊介まで道連れにしてしまうかもしれない。