とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-


 俊介と本堂がようやく許可をもらえた数日後、聖は綾芽を誘って出掛けた。

 さすがに突然だと綾芽が不審がるので、「仕事のことで女性の意見が聞きたい」と言う名目だ。

 当日駅で待ち合わせた二人は、話しがてら会場に向かった。

「あの、聖さん……以前はご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」

 綾芽は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いいのよ。気にするようなことじゃないわ。誰にだって事情はあるし」

 二年前、結婚式を欠席したことが気がかりだったのだろう。だが、これはチャンスだ。すかさず聖は畳みかけた。

「実は、今日は綾芽ちゃんにお願いがあるの」

「お願い、ですか?」

「私が結婚式してから、うちのグループ会社からウエディング系の提案を色々受けるようになってね。意見を聞きたいって言われてるんだけど、私も結婚式なんて一回しかしてないし、同じような立場の人にアドバイス貰えたらなって思って」

「え、でも私アドバイスなんて……」

「プレ花嫁として、見たままでいいから思ったことを教えてもらえない? なにせ、うちの営業マンはこういうことに疎くって困ってるの」

 この疎い営業マンが必死にとってきた仕事のおかげでこうして特別に招待されたわけだが、こう言えば綾芽は頷くはずだ。

 聖が困ったような顔をして見せると、綾芽は真剣な表情で頷いた。どうやら、第一関門は突破したようだ。

「私でよければ。お役に立てるか分かりませんが……」

「いいのいいの! 女の子がいるだけでも心強いから」

 聖は二年前、こうして本堂と一緒にウェディングフェアに出かけたことがあった。

 だが、本堂は俺はなんでもいい。と言うだけであまり真剣な様子ではなかった。方々から男性が結婚式に協力的でないと聞いていたから本堂の反応はある程度予想していたが、花嫁としてはガッカリするものだった。

 勿論本番はちゃんとしてくれたが、俊介のように自分から率先的に考えてくれれば花嫁がどんなに助かるか分からない。しかし────。

 綾芽は本当に結婚式がどうでもいいのだろうか。彼女も俊介といたいと思って決心を固めて帰ってきたのだ。さすがにどうでもいいなんて思っているとは思えないが、彼女の本心は確かめる必要がありそうだ。



 聖は事前にウェディングフェアの案内を受け取っていた。勿論、本物の案内状だ。俊介と本堂の営業のおかげでもあるが、聖が見学したいと言ったら式場の支配人は快く招待してくれた。

 二人は式場に入り、係員に案内されて会場へと向かった。

 聖は二年ぶりにこの空気感を味わった。二人の他にもプレ花嫁は大勢いたが、みんなイキイキした表情で会場を眺めている。

 会場に置かれたテーブルは華やかに飾り付けられ、花の装飾、キャンドル、テーブルナプキンの一つ一つに気合が入っている。周囲にいる女性たちはキャッキャしながら写真を撮っていた。

 聖はふと、綾芽に視線を向けた。綾芽も珍しげにテーブルを覗いていた。どうやら興味はあるようだ。

「綺麗ね」

 聖が話しかけると、綾芽はそうですね、と微笑んだ。

 スタッフに案内されて進むと、試食のコーナーが用意されていた。

 会場の壁際には披露宴で出されるものと同じデザートが並んでいる。ケーキにマカロンにクッキーと、どれも可愛らしい形のものばかりだ。聖は甘いものが苦手だが、綾芽は甘いものは好きだと聞いている。これは、絶対に喜ぶはずだろう。

 綾芽はスタッフからどうぞ、と勧められ、デザートの乗った皿を受け取った。

「あ、聖さんは────」

「私はパス。甘いものは苦手なの」

 綾芽はケーキに口を付けた。色味から察するに、ラズベリーかイチゴのケーキだろう。綾芽は口にした瞬間、美味しそうに表情を綻ばせた。

 ここに俊介がいたら、恐らく大歓喜していただろうが、それは後で報告することにしよう。

 試食会が終わると、ドレスの試着コーナーに案内された。ずらりと並べられたドレスは圧巻だが、聖は見慣れているのでそれほど驚きはしなかった。だが、普通の女性はドレスを着ること自体少ないからこれだけでもう興奮ものだ。

 ドレスはいろいろ種類があるが、綾芽はどういうものが好きなのだろうか。

「綾芽ちゃんも着てみたら?」

「い、いえ。私は大丈夫です」

「せっかく来たのに。もしかして、白無垢とかの方がよかった?」

「あ、いえ! そうじゃなくて……初めて着るなら、俊介さんとの結婚式がいいなって」

 綾芽は少し照れたように笑った。

 ────ちょっと俊介。すごく楽しみにしてるじゃない。どういうことよ?

 聖は頭に疑問符を浮かべた。俊介の話では、綾芽はお金がかかるから結婚式はシンプルなものにするかしなくてもいいと言っていたはずだ。だが、今の発言から考えると綾芽は結婚式をしたいように見える。

「綾芽ちゃんは……俊介と結婚式してみたい?」

 聖が尋ねると、綾芽はハッとして慌てて視線を逸らした。

「い、いえ。別にしたいわけじゃないんです。綺麗だなとは思いますけど」

「正直に言って。私も連れて来ちゃったけど、本当に嫌だったら謝るわ。女の子なら好きかなと思ったけど、それは私の勝手な思い込みだし……」

「違うんです。嫌いとかじゃなくて……その、私がこういうことに夢を見ると、俊介さんの負担になるなって」

「負担? どうして?」

「お恥ずかしい話ですけど、私はやっと借金を返したばかりで、正直結婚式を挙げるだけのお金がありません。だから俊介さんと結婚できるだけで十分なんです。けど……」

「けど?」

「私も、いいなって思うことはあります。こんなドレスを着て俊介さんと一緒に歩けたら、すごく幸せだと思うんです。でも私がそれを望むと、俊介さん張り切ってしまって……」

 その時の俊介が目に浮かぶようだ。つまるところ結局、俊介が悪いということではないだろうか。俊介ももう少し落ち着いてくれたらいいのだが、なにせ彼は綾芽にゾッコンだ。彼女がしたいことであれば可能な限りやろうとするだろう。綾芽もそれを分かって遠慮していたのだ。

「……ごめんね。ダメな幼馴染で……」

「俊介さんなりに考えてくれてるって分かってます。でもこんな状態ですから、無理して結婚式をしなくてもいいかなって」

「ありがとう」

「えっ?」

「綾芽ちゃんはいつも俊介のこと考えてくれてるのね」

 綾芽は慌てて手をブンブンと振った。

「そんなんじゃありません。私なんて自分のことばっかりで……」

「でも、俊介のこと考えて結婚式しないようにしてくれてたんでしょ?」

「それは……」

「これは私からのお願いなんだけど、俊介のわがままを聞いてやってくれない? 俊介、あなたの花嫁姿本当に楽しみにしてるの」

「でも……」

「お金なんて、働けば出てくるものよ。でも、大事な思い出は簡単に買えるものじゃないから」

 結婚式をするしないは人の自由だが、綾芽が本当はしたいと思っているなら遠慮させるのはよくないだろう。しなかったら恐らく、俊介は延々と落ち込むかもしれない。

「……分かりました。俊介さんと、少しお話ししてみます」

「よかった。これで肩の荷が降りたわ」

「俊介さんは本堂さんといい聖さんといい、いいご友人がたくさんいるんですね。羨ましいです」

「え?」

「俊介さんに話を聞いて、私を説得しに来たんですよね?」

 ────バレてたのね。

 聖はあはは、と苦笑いを浮かべた。どうりで俊介が勝てないわけだ。
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