とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
昼休憩になり、綾芽がバックヤードでおにぎりを取り出して椅子に座って食べようとした時だった。
「立花さんごめん、お昼からこの部屋天井の配管工事があるんだ。悪いけど外で食べてきてくれない?」
「え、配管工事ですか?」
「空調が壊れててね。多分昼過ぎには終わると思うんだけど……」
店長は申し訳なさそうにいった。それなら仕方ないと、綾芽は上着だけ着替えて鞄を持って外に出た。
昼休憩はいつもバックヤードに置かれている簡易テーブルと椅子に落ち着くのだが、今日は諦めるしかないだろう。
会社から出て、綾芽は近くに公園があったことを思い出し、そこに行くことにした。
公園にはいくつもベンチが置かれているが、既にほとんどの席が埋まっていた。ここはオフィスビルがある通りだから、サラリーマンやOLが来るのだろう。
綾芽はなんとかベンチを見つけてそこに腰掛けた。
昼ごはんはいつもと同じおにぎりだ。飽きるので中の具はおかかや梅干しなど何種類かをローテーションさせている。それと自家製の麦茶だ。これで十分空腹は満たされるから、綾芽には十分だった。
しかし、あのコンビニでバイトし始めてまあまあ経つが、この場所で食べたのは初めてだった。外でランチも案外悪くないものだ。
周りの景色を見ながら食事していると、ふと向こうから歩いてくる人物に視線がいった。
誰かと思ったら、あの男性だ。彼も昼休憩に来たのだろうか。
だが、生憎ベンチはどこも埋まってる。キョロキョロしながら空いている席を探しているようだった。
「あ────」
綾芽が見つめていると、向こうも綾芽に気付いたのか、目が合った。綾芽は気不味くなった。自分の隣の席が空いている。向こうもそれに気付いているが、言い出せないようだった。ここで無視は失礼だろう。
「こんにちは……あの、お昼ですか」
「ええ、でもどこも埋まっていて、来るのが少し遅かったみたいですね」
「……もしよかったら、どうぞ」
綾芽がベンチの隣を指差すと、男性はありがとうございます、と笑った。
男性が持っていたビニール袋にはジェフミックのロゴが付いていた。綾芽が休憩に入った後に来たのだろう。
「あの……お菓子、ありがとうございました」
「ああ、いいえ。俺が迷惑をかけたんだから当然です」
「持って帰って、大事に食べることにします」
「気に入らなかったらすみません。女性が好きそうなものがよく分からなくて」
「いえ……普通の女性は、こういうものが好きだと思います」
「普通の?」
「あ、いえ……」
綾芽は男性が食べているランチに目をやった。
ジェフミックで売られている特製弁当だ。値段は千七百円もする割に量が少ないが、三種類の混ぜご飯におかずが十種類もついた超豪華弁当だ。
まさかこれを買ってる人がいるなんて。綾芽は思わず弁当に目が釘付けになった。
それに比べて自分は────。おにぎり二つに水筒に入れた麦茶だけだ。なんだか見窄らしくて惨めに思えてきた。
「さっき、お店で買ってきたんです。もうほとんど売れていて、あまり残っていませんでした。お昼は激戦ですね」
綾芽が見ていることに気が付いたのか、男性は笑みを浮かべた。
「す、すみません。じろじろ見て……それを買ってる人、あんまり見たことがなかったので」
「俺も初めて買いました。結構おいしいですよ」
男性がおにぎりについてなにも触れてこなかったので綾芽は助かった、と思った。あんな高価な弁当の横で安い米のおにぎりを食べるなんて拷問以外の何者でもない。
しかし、これしか残っていなかったとはいえ千七百円の弁当を買う男だ。萩原も言っていたが、彼はもしかしたら藤宮コーポレーションの部長や係長などの役職クラスの人間かもしれない。
昼食の平均価格は普通のサラリーマンなら五百円前後、藤宮コーポレーションに勤める社員が千円前後だ。奮発するにしてもハードルが高い昼食だ。この弁当と同じ価格で、そこらへんのカフェで立派な昼食を食べることが出来る。
役職者なら、身なりがキマっている理由も納得できる。スーツの良し悪しはわからないが、彼は着ている黒いスーツと深緑色のネクタイはビシッとしていてベンチに座っているだけで絵になる。革靴は綺麗に手入れされていてピカピカだ。ネクタイピンもシンプルだが、少しだけ細工が施されていてスーツによく合っていた。
こういう人を勝ち組というのだろう。羨ましいとは思わなかったが、自分の隣に座っていることがなんだか奇妙に思えた。
突然電子音が鳴った。スマホの音だ。
男性はポケットからスマホを取り出すと、綾芽に微かにお辞儀して電話に出た。
「はい、青葉です」
突然隣で始まったビジネストークを聴きながら、綾芽は初めて聞いた名前をもう一度頭で復唱した。
この男性は「青葉」という名前らしい。何度も菓子をもらっておきながら、今初めて名前を知った。
そもそも彼と知り合ったのはつい最近だ。しかもたいして仲良くもない。名前など知らなくて当然だ。
少しして電話を切ると、「青葉さん」は申し訳なさそうに謝った。
「食事中にすみません」
「いえ……お忙しそうですね」
「月末なのでどうしても立て込むんです」
彼は食べたばかりの弁当を袋の中にしまい始めた。そして立ち上がった。
「すみません、仕事に戻ります。では」
彼は笑って綾芽に背を向けた。
まだ十三時になっていないのに、もう仕事に戻るのだろうか。上司に呼び出されたのかもしれない。
スーツに身を包んだ彼が遠ざかっていくのを少しの間見て、綾芽は水筒の中にあった麦茶を一気に飲み込んだ。
次はもう少し豪華な弁当を作るべきだろうか。せめて海苔ぐらい巻いた方が様になるかもしれない。
なんだかそこにいることが気まずくなって、綾芽も慌ただしくおにぎりを平らげて席を立った。
「立花さんごめん、お昼からこの部屋天井の配管工事があるんだ。悪いけど外で食べてきてくれない?」
「え、配管工事ですか?」
「空調が壊れててね。多分昼過ぎには終わると思うんだけど……」
店長は申し訳なさそうにいった。それなら仕方ないと、綾芽は上着だけ着替えて鞄を持って外に出た。
昼休憩はいつもバックヤードに置かれている簡易テーブルと椅子に落ち着くのだが、今日は諦めるしかないだろう。
会社から出て、綾芽は近くに公園があったことを思い出し、そこに行くことにした。
公園にはいくつもベンチが置かれているが、既にほとんどの席が埋まっていた。ここはオフィスビルがある通りだから、サラリーマンやOLが来るのだろう。
綾芽はなんとかベンチを見つけてそこに腰掛けた。
昼ごはんはいつもと同じおにぎりだ。飽きるので中の具はおかかや梅干しなど何種類かをローテーションさせている。それと自家製の麦茶だ。これで十分空腹は満たされるから、綾芽には十分だった。
しかし、あのコンビニでバイトし始めてまあまあ経つが、この場所で食べたのは初めてだった。外でランチも案外悪くないものだ。
周りの景色を見ながら食事していると、ふと向こうから歩いてくる人物に視線がいった。
誰かと思ったら、あの男性だ。彼も昼休憩に来たのだろうか。
だが、生憎ベンチはどこも埋まってる。キョロキョロしながら空いている席を探しているようだった。
「あ────」
綾芽が見つめていると、向こうも綾芽に気付いたのか、目が合った。綾芽は気不味くなった。自分の隣の席が空いている。向こうもそれに気付いているが、言い出せないようだった。ここで無視は失礼だろう。
「こんにちは……あの、お昼ですか」
「ええ、でもどこも埋まっていて、来るのが少し遅かったみたいですね」
「……もしよかったら、どうぞ」
綾芽がベンチの隣を指差すと、男性はありがとうございます、と笑った。
男性が持っていたビニール袋にはジェフミックのロゴが付いていた。綾芽が休憩に入った後に来たのだろう。
「あの……お菓子、ありがとうございました」
「ああ、いいえ。俺が迷惑をかけたんだから当然です」
「持って帰って、大事に食べることにします」
「気に入らなかったらすみません。女性が好きそうなものがよく分からなくて」
「いえ……普通の女性は、こういうものが好きだと思います」
「普通の?」
「あ、いえ……」
綾芽は男性が食べているランチに目をやった。
ジェフミックで売られている特製弁当だ。値段は千七百円もする割に量が少ないが、三種類の混ぜご飯におかずが十種類もついた超豪華弁当だ。
まさかこれを買ってる人がいるなんて。綾芽は思わず弁当に目が釘付けになった。
それに比べて自分は────。おにぎり二つに水筒に入れた麦茶だけだ。なんだか見窄らしくて惨めに思えてきた。
「さっき、お店で買ってきたんです。もうほとんど売れていて、あまり残っていませんでした。お昼は激戦ですね」
綾芽が見ていることに気が付いたのか、男性は笑みを浮かべた。
「す、すみません。じろじろ見て……それを買ってる人、あんまり見たことがなかったので」
「俺も初めて買いました。結構おいしいですよ」
男性がおにぎりについてなにも触れてこなかったので綾芽は助かった、と思った。あんな高価な弁当の横で安い米のおにぎりを食べるなんて拷問以外の何者でもない。
しかし、これしか残っていなかったとはいえ千七百円の弁当を買う男だ。萩原も言っていたが、彼はもしかしたら藤宮コーポレーションの部長や係長などの役職クラスの人間かもしれない。
昼食の平均価格は普通のサラリーマンなら五百円前後、藤宮コーポレーションに勤める社員が千円前後だ。奮発するにしてもハードルが高い昼食だ。この弁当と同じ価格で、そこらへんのカフェで立派な昼食を食べることが出来る。
役職者なら、身なりがキマっている理由も納得できる。スーツの良し悪しはわからないが、彼は着ている黒いスーツと深緑色のネクタイはビシッとしていてベンチに座っているだけで絵になる。革靴は綺麗に手入れされていてピカピカだ。ネクタイピンもシンプルだが、少しだけ細工が施されていてスーツによく合っていた。
こういう人を勝ち組というのだろう。羨ましいとは思わなかったが、自分の隣に座っていることがなんだか奇妙に思えた。
突然電子音が鳴った。スマホの音だ。
男性はポケットからスマホを取り出すと、綾芽に微かにお辞儀して電話に出た。
「はい、青葉です」
突然隣で始まったビジネストークを聴きながら、綾芽は初めて聞いた名前をもう一度頭で復唱した。
この男性は「青葉」という名前らしい。何度も菓子をもらっておきながら、今初めて名前を知った。
そもそも彼と知り合ったのはつい最近だ。しかもたいして仲良くもない。名前など知らなくて当然だ。
少しして電話を切ると、「青葉さん」は申し訳なさそうに謝った。
「食事中にすみません」
「いえ……お忙しそうですね」
「月末なのでどうしても立て込むんです」
彼は食べたばかりの弁当を袋の中にしまい始めた。そして立ち上がった。
「すみません、仕事に戻ります。では」
彼は笑って綾芽に背を向けた。
まだ十三時になっていないのに、もう仕事に戻るのだろうか。上司に呼び出されたのかもしれない。
スーツに身を包んだ彼が遠ざかっていくのを少しの間見て、綾芽は水筒の中にあった麦茶を一気に飲み込んだ。
次はもう少し豪華な弁当を作るべきだろうか。せめて海苔ぐらい巻いた方が様になるかもしれない。
なんだかそこにいることが気まずくなって、綾芽も慌ただしくおにぎりを平らげて席を立った。