とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
第5話 社内恋愛はしません
俊介は資料を届けるため、広報部へ向かった。
広報部が考えた提案は必ず社長である聖が目を通す。余程ひどくない限り、彼女は社員の自主性を尊重していたから、却下になることはあまりない。
だが、それでも社長が目を通す、ということで広報部の社員たちは緊張していたようだ。俊介が資料を持ってくると、一斉に入り口の方を見て立ち上がった。
広報部の部長はやや早足で俊介の前に来た。
「青葉さん、いかがでしたか」
「オーケーだそうです。このまま実施してください」
俊介が返事すると、広報部からわっと歓声が沸いた。今回の企画は広報部もかなり力を入れていたようだから、喜びもひとしおに違いない。
「社長も楽しみにしているそうです、頑張ってください」
聖の代わりに激励の言葉をかけ、俊介は広報部をあとにした。秘書室に戻ろうとエレベーターの前で待っている時だった。
「あの、青葉さん……!」
声がした方に振り向くと、先ほど広報部にいた女性社員が立っていた。
名前は確か水原と言っただろうか。小柄でボブカットの水原は、目の前に来ると身長がかなり離れているため見下すような形になった。
「なにか?」
「あの青葉さんってお付き合いしている人とかいるんですか」
質問された瞬間、青葉はまたか、と思った。
この質問をされたことは一度や二度ではない。藤宮コーポレーション本社勤務になってから、こういう質問をされることが異常に増えた。その理由はわかっている。
自分は社長の秘書だ。本堂と一緒に聖の補佐につけられた時は前社長に右腕とまで言われたのだ。
そんな自分に注がれる周囲の視線は二通りだ。嫉妬と、憧れ。自分はただ聖の専属執事であったためある程度優遇されただけだと思うが、周囲はそうは思っていない。
入社当初は聖や本堂と同様、影で嫌味を言われることもあったし、指示を聞かない社員もいて苦労した。だが、今はそういうこともない。聖が社長に就任し、業務が明らかに改善されたからだろう。必然的に自分も認められることになった。
兎にも角にも、社長の秘書であるおかげで女性社員からお誘いを受けることが何度かあった。それはおべっかでもあるし、期待でもあるのだろう。
だが、俊介は社内恋愛をするつもりはなかった。
聖を好きになっておいてそう思うのはおかしいかもしれないが、そもそも聖に対する思いもずっと誰にも言わずに秘めていたものだ。
公私混同は嫌いだし、それで仕事に支障が出ては困る。いくら彼女たちが可愛くて優しい女性だとしても社内恋愛はいろいろ風評が立つ。それが聖の仕事の障害なるなら、わざわざ会社の中で選ぶ必要はないと思っていた。
「いませんが、今は女性とお付き合いつもりはありません」
「そ、そうですか……あ、あの。今度広報部のみんなで今度の企画の慰労会をするんですけど、もしよかったら青葉さんもどうですか?」
だが、水原はどうしても誘いたいようだ。とにかく接点を持ちたいのだろう。
「予定はいつですか?」
「今度の金曜の夜です」
俊介は一旦考えるフリをした。その日は夕方から特になにも予定が入っていないから仕事の後飲みに行くことは可能だ。
だが、もともと行くつもりはない。すぐに断らなかったのは、それで人の印象がかなり変わるとわかっているからだ。断る時は一旦飲み込んでからにしろと仕事で何度も教わってきた。
「すみません。その日は夕方から取引先と打ち合わせを入れていたと思います。皆さんで楽しんできてください」
「青葉さん、お忙しいですもんね……急にお誘いしてすみませんでした」
諦めたのか、水原はすごすごと仕事場に戻って行った。
断ったものの、俊介はほんの少しだけ後悔していた。彼女と付き合うつもりは毛頭ないが、気分転換は必要かもしれないと思った。
自分の人生は聖と藤宮家一色だ。関わる人は多いが、親密な人間は限られている。もう少し交友関係を広げれば、虚しさで悩むことはなくなるかもしれない。
だがやはり職場の人間とは危険だ。仲良くなるならもっと、仕事場以外の人間にするべきだろう。
広報部が考えた提案は必ず社長である聖が目を通す。余程ひどくない限り、彼女は社員の自主性を尊重していたから、却下になることはあまりない。
だが、それでも社長が目を通す、ということで広報部の社員たちは緊張していたようだ。俊介が資料を持ってくると、一斉に入り口の方を見て立ち上がった。
広報部の部長はやや早足で俊介の前に来た。
「青葉さん、いかがでしたか」
「オーケーだそうです。このまま実施してください」
俊介が返事すると、広報部からわっと歓声が沸いた。今回の企画は広報部もかなり力を入れていたようだから、喜びもひとしおに違いない。
「社長も楽しみにしているそうです、頑張ってください」
聖の代わりに激励の言葉をかけ、俊介は広報部をあとにした。秘書室に戻ろうとエレベーターの前で待っている時だった。
「あの、青葉さん……!」
声がした方に振り向くと、先ほど広報部にいた女性社員が立っていた。
名前は確か水原と言っただろうか。小柄でボブカットの水原は、目の前に来ると身長がかなり離れているため見下すような形になった。
「なにか?」
「あの青葉さんってお付き合いしている人とかいるんですか」
質問された瞬間、青葉はまたか、と思った。
この質問をされたことは一度や二度ではない。藤宮コーポレーション本社勤務になってから、こういう質問をされることが異常に増えた。その理由はわかっている。
自分は社長の秘書だ。本堂と一緒に聖の補佐につけられた時は前社長に右腕とまで言われたのだ。
そんな自分に注がれる周囲の視線は二通りだ。嫉妬と、憧れ。自分はただ聖の専属執事であったためある程度優遇されただけだと思うが、周囲はそうは思っていない。
入社当初は聖や本堂と同様、影で嫌味を言われることもあったし、指示を聞かない社員もいて苦労した。だが、今はそういうこともない。聖が社長に就任し、業務が明らかに改善されたからだろう。必然的に自分も認められることになった。
兎にも角にも、社長の秘書であるおかげで女性社員からお誘いを受けることが何度かあった。それはおべっかでもあるし、期待でもあるのだろう。
だが、俊介は社内恋愛をするつもりはなかった。
聖を好きになっておいてそう思うのはおかしいかもしれないが、そもそも聖に対する思いもずっと誰にも言わずに秘めていたものだ。
公私混同は嫌いだし、それで仕事に支障が出ては困る。いくら彼女たちが可愛くて優しい女性だとしても社内恋愛はいろいろ風評が立つ。それが聖の仕事の障害なるなら、わざわざ会社の中で選ぶ必要はないと思っていた。
「いませんが、今は女性とお付き合いつもりはありません」
「そ、そうですか……あ、あの。今度広報部のみんなで今度の企画の慰労会をするんですけど、もしよかったら青葉さんもどうですか?」
だが、水原はどうしても誘いたいようだ。とにかく接点を持ちたいのだろう。
「予定はいつですか?」
「今度の金曜の夜です」
俊介は一旦考えるフリをした。その日は夕方から特になにも予定が入っていないから仕事の後飲みに行くことは可能だ。
だが、もともと行くつもりはない。すぐに断らなかったのは、それで人の印象がかなり変わるとわかっているからだ。断る時は一旦飲み込んでからにしろと仕事で何度も教わってきた。
「すみません。その日は夕方から取引先と打ち合わせを入れていたと思います。皆さんで楽しんできてください」
「青葉さん、お忙しいですもんね……急にお誘いしてすみませんでした」
諦めたのか、水原はすごすごと仕事場に戻って行った。
断ったものの、俊介はほんの少しだけ後悔していた。彼女と付き合うつもりは毛頭ないが、気分転換は必要かもしれないと思った。
自分の人生は聖と藤宮家一色だ。関わる人は多いが、親密な人間は限られている。もう少し交友関係を広げれば、虚しさで悩むことはなくなるかもしれない。
だがやはり職場の人間とは危険だ。仲良くなるならもっと、仕事場以外の人間にするべきだろう。