とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
綾芽は青葉がコンビニに来るのをひたすら待った。
なにせ、連絡先を聞いていない。青葉がこの会社に勤務していることは知っていても、どこの部署かもわからない。
青葉と会うためには彼がコンビニに来るのを待つしかなかった。
だが、青葉はなかなか来なくて、それが余計に心配を掻き立てた。
以前も、毎日来ているわけではなかったし、偶然会うことが多かった。あんなひどい態度をとったから気まずくなってこなくなったのだろうか。それともこんな不愉快な店員がいる店には二度と行かないと思っただろうか。
どちらにしろ、失礼な態度をとったことに変わりない。
綾芽は大きな溜息をついた。
結局一日待っても来なかった。もしかしたら、もう青葉は来ないのではないだろうか。そんな嫌な想像が頭に広がる。
────なんで私こんなに悩んでるんだろう。クビにさえならないなら、別にお客さんが一人減ったくらいなんてことないのに。
青葉はただの客だ。一応遠い上司にあたる人物ではあるが、仕事で直接関わるのは客と店員としてだけだ。なんだったら、気を遣うややこしい客が一人いなくなってよかったと思えばいい。なのに、そんなふうには考えられなかった。
退勤時間を迎えて、綾芽は店から出た。一日青葉のことで悩んでいたからか、時間が経つのが早かった。
明日も青葉は来ないのだろうか。明後日も、明々後日も。
ビルから出たところで、ふと、ロータリーに人が立っているのが見えた。
その人物は綾芽の方を見ると、ゆっくりと近づいて来た。
「お疲れ様です」
少しぎこちない表情で挨拶した青葉に、綾芽は一瞬戸惑って言葉を忘れた。
「仕事が終わったばかりになのにすみません」
相変わらず言葉を返せない綾芽に、青葉は一言謝りたくて、と言った。
「この間は、せっかくお時間をとって下さったのに台無しにするようなことをしてすみませんでした。立花さんの事情も、もっとよく考えるべきでした」
また、青葉は謝っている。彼はなにも悪くないのに、だ。
「一言謝りたかったんです。お忙しいのに────」
「……っ謝らないでください」
綾芽は自分が情けなくなった。
他人に頼りたくない。一人で地に足つけた生活がしたい。そう思って今までやって来たのに、自分がやっていることはとても大人の対応とはいえないようなことばかりだ。
勝手にトラウマを押し付けて、癇癪を起こして帰ってしまった。これではあの父親と同じだ。
「悪いのは私です。青葉さんは親切でいろいろ考えて下さったのに、私が勝手に────」
「いえ、俺も相談すべきでした。自己満足でお店も選んだし、立花さんの意見もちゃんと聞くべきだったんです」
「そんなこと……」
「知り合いに言われました。『食事は豪華なものを食べなくても、一緒に食べる人間が楽しければ美味しくなる』って。本当にその通りだと思います。立花さんに喜んで貰おうと思ったのに、俺は自分の価値観で選びすぎました」
青葉は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
申し訳ない────。綾芽はそういう気持ちも抱いていたが、なによりもほっとしていた。
青葉は怒っていなかった。それもだが、自分が思っていたよりも、彼が人間味がある人だったからだ。
やはり、心のどこかで思っていたのかもしれない。青葉のように働いている男性はどこかで、優位に立ちたいと思っているのだと。
それが嫌だったのは、父親に見下されていたからでもあったが、自分がただ囲われているだけの家畜のように思えたからだ。
家族だから守りたい────本当はそう思っていて欲しかったのだろう。相手を想う気持ちで行動してほしいと思っていた。
それを期待することに疲れて、裏切られるのが怖いから一人で立とうとしていた。自立した人間になれば、期待することはないだろうと思っていたのだ。
だが、青葉は違った。勝手なことをした。そうかもしれないが、少なくとも彼は自己満足で行動したわけではなかった。
ただ、自分がその親切を受け止める心を持っていなかっただけなのだ。
「……ごめんなさい。青葉さんがせっかくいろいろ選んでくださったのに、ずっと不機嫌で、お礼も言わずに……。私は、ただ────」
「そんなことありません。俺の頭が堅いから、あんなところに立花さんを連れて行ってしまって……」
「……青葉さん」
「……はい」
「り、リベンジさせてもらえませんか」
青葉は綾芽の言葉をオウムのように繰り返した。
「今度は、私がお店を選びます。その……青葉さんが気にいるような高いお店は無理かもしれません。あんまりお店も知らないし、美味しくないかもしれません。青葉さんはお忙しいし、無理かもしれませんけど……この間のお詫びをさせてほしいんです」
綾芽は一息に言い切った。
青葉は忙しいはずだ。きっと仕事も出来そうだし、そんな食事に付き合っている暇はないかもしれない。けれど、このまま有耶無耶にすることは出来なかった。
バイト生活もそんなに余裕はないし、正直先日の食事みたいなことになったらマイナスだ。それでも、これが自分にできる精一杯なのだ。
「大丈夫です。あれは接待用のお店で、俺が普段食べるのは普通の食事ですよ」
「せ、千七百円のお弁当がですか」
「あれはたまたまです。普段は普通の定食屋に入ります」
綾芽はほっとした。もしあれが普段食だと言われたら破産してしまうかもしれない。
「……怒ってないんですか?」
「怒ってませんよ。むしろ俺が怒られる方です」
「失礼な態度をとったのは私です」
「俺が立花さんのことを理解してなかったせいでもあります」
「……青葉さんって頑固ですね」
「……そうですね。頭が堅いとよく言われます。これでも昔に比べたらまだ柔軟になった方です」
「じゃあ……私のこと、許してもらえますか」
「立花さんも、俺のこと許してくれますか」
その質問の返事のように青葉が笑うと、つられて綾芽も笑った。
なにせ、連絡先を聞いていない。青葉がこの会社に勤務していることは知っていても、どこの部署かもわからない。
青葉と会うためには彼がコンビニに来るのを待つしかなかった。
だが、青葉はなかなか来なくて、それが余計に心配を掻き立てた。
以前も、毎日来ているわけではなかったし、偶然会うことが多かった。あんなひどい態度をとったから気まずくなってこなくなったのだろうか。それともこんな不愉快な店員がいる店には二度と行かないと思っただろうか。
どちらにしろ、失礼な態度をとったことに変わりない。
綾芽は大きな溜息をついた。
結局一日待っても来なかった。もしかしたら、もう青葉は来ないのではないだろうか。そんな嫌な想像が頭に広がる。
────なんで私こんなに悩んでるんだろう。クビにさえならないなら、別にお客さんが一人減ったくらいなんてことないのに。
青葉はただの客だ。一応遠い上司にあたる人物ではあるが、仕事で直接関わるのは客と店員としてだけだ。なんだったら、気を遣うややこしい客が一人いなくなってよかったと思えばいい。なのに、そんなふうには考えられなかった。
退勤時間を迎えて、綾芽は店から出た。一日青葉のことで悩んでいたからか、時間が経つのが早かった。
明日も青葉は来ないのだろうか。明後日も、明々後日も。
ビルから出たところで、ふと、ロータリーに人が立っているのが見えた。
その人物は綾芽の方を見ると、ゆっくりと近づいて来た。
「お疲れ様です」
少しぎこちない表情で挨拶した青葉に、綾芽は一瞬戸惑って言葉を忘れた。
「仕事が終わったばかりになのにすみません」
相変わらず言葉を返せない綾芽に、青葉は一言謝りたくて、と言った。
「この間は、せっかくお時間をとって下さったのに台無しにするようなことをしてすみませんでした。立花さんの事情も、もっとよく考えるべきでした」
また、青葉は謝っている。彼はなにも悪くないのに、だ。
「一言謝りたかったんです。お忙しいのに────」
「……っ謝らないでください」
綾芽は自分が情けなくなった。
他人に頼りたくない。一人で地に足つけた生活がしたい。そう思って今までやって来たのに、自分がやっていることはとても大人の対応とはいえないようなことばかりだ。
勝手にトラウマを押し付けて、癇癪を起こして帰ってしまった。これではあの父親と同じだ。
「悪いのは私です。青葉さんは親切でいろいろ考えて下さったのに、私が勝手に────」
「いえ、俺も相談すべきでした。自己満足でお店も選んだし、立花さんの意見もちゃんと聞くべきだったんです」
「そんなこと……」
「知り合いに言われました。『食事は豪華なものを食べなくても、一緒に食べる人間が楽しければ美味しくなる』って。本当にその通りだと思います。立花さんに喜んで貰おうと思ったのに、俺は自分の価値観で選びすぎました」
青葉は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
申し訳ない────。綾芽はそういう気持ちも抱いていたが、なによりもほっとしていた。
青葉は怒っていなかった。それもだが、自分が思っていたよりも、彼が人間味がある人だったからだ。
やはり、心のどこかで思っていたのかもしれない。青葉のように働いている男性はどこかで、優位に立ちたいと思っているのだと。
それが嫌だったのは、父親に見下されていたからでもあったが、自分がただ囲われているだけの家畜のように思えたからだ。
家族だから守りたい────本当はそう思っていて欲しかったのだろう。相手を想う気持ちで行動してほしいと思っていた。
それを期待することに疲れて、裏切られるのが怖いから一人で立とうとしていた。自立した人間になれば、期待することはないだろうと思っていたのだ。
だが、青葉は違った。勝手なことをした。そうかもしれないが、少なくとも彼は自己満足で行動したわけではなかった。
ただ、自分がその親切を受け止める心を持っていなかっただけなのだ。
「……ごめんなさい。青葉さんがせっかくいろいろ選んでくださったのに、ずっと不機嫌で、お礼も言わずに……。私は、ただ────」
「そんなことありません。俺の頭が堅いから、あんなところに立花さんを連れて行ってしまって……」
「……青葉さん」
「……はい」
「り、リベンジさせてもらえませんか」
青葉は綾芽の言葉をオウムのように繰り返した。
「今度は、私がお店を選びます。その……青葉さんが気にいるような高いお店は無理かもしれません。あんまりお店も知らないし、美味しくないかもしれません。青葉さんはお忙しいし、無理かもしれませんけど……この間のお詫びをさせてほしいんです」
綾芽は一息に言い切った。
青葉は忙しいはずだ。きっと仕事も出来そうだし、そんな食事に付き合っている暇はないかもしれない。けれど、このまま有耶無耶にすることは出来なかった。
バイト生活もそんなに余裕はないし、正直先日の食事みたいなことになったらマイナスだ。それでも、これが自分にできる精一杯なのだ。
「大丈夫です。あれは接待用のお店で、俺が普段食べるのは普通の食事ですよ」
「せ、千七百円のお弁当がですか」
「あれはたまたまです。普段は普通の定食屋に入ります」
綾芽はほっとした。もしあれが普段食だと言われたら破産してしまうかもしれない。
「……怒ってないんですか?」
「怒ってませんよ。むしろ俺が怒られる方です」
「失礼な態度をとったのは私です」
「俺が立花さんのことを理解してなかったせいでもあります」
「……青葉さんって頑固ですね」
「……そうですね。頭が堅いとよく言われます。これでも昔に比べたらまだ柔軟になった方です」
「じゃあ……私のこと、許してもらえますか」
「立花さんも、俺のこと許してくれますか」
その質問の返事のように青葉が笑うと、つられて綾芽も笑った。