とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 後日、青葉から次の週のランチのメニューについて連絡がきた。

 青葉は和食がいいか、洋食がいいかで迷っているようだが、綾芽は正直それどころではなかった。

 青葉に恋愛対象として思われていない。青葉には別に好きな女性がいる────それも悲しいことだったが、あの女性のことが頭から離れなくて困っていた。

 彼女の存在は気になるが、とても青葉には聞けない。

 そんなことを尋ねたら、自分が青葉に気があるのがバレバレだ。相手になんてされるわけがないというのに、こんなことばかり考えていた。

 青葉のお節介が移ったのだろうか。青葉はあの女性のことを大切に思っている。それなら諦めもつくというものだが、あの女性が青葉にも他の男性にもいい顔をしているのだとしたらとても放っておけない。

 だが、自分に一体何が出来るというのか。所詮ただのバイトの分際で、青葉の恋愛に口出しなどできない。それとも、青葉と別れてくれとでもいうのか。それこそ分不相応だ。

 ぼんやり考えていると店の入り口の自動扉が開いた。そこから入ってきた人物を見て綾芽はさらに驚いた。

「こんにちは」

 青葉の上司────聖は綾芽に微笑んだ。そのまま軽く会釈をして彼女はレジにいる綾芽の前を通り過ぎ、お菓子のコーナーで先日購入した煎餅を二袋とってくると再びレジに持ってきた。

「これ、美味しくて気に入っているの」

 彼女は照れたように笑った。

 随分穏やかな様子だが、彼女は先日一回顔を合わせただけの綾芽に対し随分打ち解けた様子だ。青葉からなにか話を聞いているのか、それとも元々フレンドリーな人間なのか。

 綾芽はなんだか腹が立ってきた。自分が怒るのは筋違いだと分かっているが、青葉が真剣に想っているのに彼女はなぜ別の男と親しくするのだろう。

 こんな風に見えても実は男を手玉に取るようなタイプなのだろうか。確かに彼女は美人だが────。

「あの……青葉さんとお付き合いしているんですか」

「え?」

「真剣なお付き合いじゃないなら、青葉さんを誤解させるようなことはやめてあげてください……青葉さんは、本当にあなたのことを尊敬しているんです。なのに……」

 綾芽はハッとした。彼女は驚いて口をぽかんと開けている。思わぬところまで口を出してしまった。こんなところまで言うつもりはなかったのに。いきなり他人が聞いていい内容ではない。仮にも客に対してなんて対応をしているのか。

「あ、あの……すみません。私────」

 綾芽は慌てふためいた。絶対怒られる────。背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 だが、彼女は怒った様子でもなく、窺うようにこちらを見つめた。

「えーっと、なにか誤解していると思うんだけど私と俊介は付き合ってないわ。私はもう結婚してるし、俊介はただの部下よ。幼馴染だから親しくしてるだけだから、安心してね」

「え────」

「俊介のこと、好きなの?」

 彼女はとても嬉しそうに尋ねた。

 一方綾芽は突然色々な情報が入ってきて混乱していた。彼女と青葉は付き合っていないが、幼馴染だから親しくしていた。彼女は結婚している。では青葉は騙されているわけではないのだろうか。

 早とちりにも程がある。綾芽は自分の顔が熱くなるのを感じた。そして彼女にされた質問で、さらに追い詰められた気分になった。

「し……失礼なことを言って申し訳ありません」

「気にしないで。あれだけ一緒にいたら間違えるわよね。にしても、俊介がちゃんと説明してないからこんな誤解を招くんだわ。まったく……」

 綾芽は自分が恥ずかしくなった。

 なんて寛大な女性なのだろう。他人よりは冷静でいるつもりだったが、青葉と出会ってから、なんだか子供っぽい面ばかりが前に出ている気がしてならない。

 こんな素敵な女性の前にいるからか、余計に自分が幼稚に思えてくる。

「俊介をよろしくね」

 彼女は気を悪くする風でもなく相変わらず嬉しそうに言った。

「あなたといる時の俊介はとっても楽しそうだから。嫌じゃなければ、仲良くしてあげて」

「え、いえ……むしろ私の方がお世話になってばかりで……青葉さんにはご迷惑ばかりかけているんです……」

「ううん、そんなことないわ。あなたのおかげで俊介、すごく変わったもの。真面目で融通が効かない男だけど、優しくて思いやりがあるから。きっとあなたを泣かせるようなことはないと思うわ」

 彼女は頑張ってね、と言って笑った。

 綾芽はどう答えたらいいか分からず、はいと返事したものの内心困った。

 自分の気持ちが知られてしまった上、応援されるようなことを言われてしまった。これが青葉に伝わってしまったら大変だ。

 だが、あの女性は口が固そうだから、その心配はいらないだろうか。

 気持ちは次第に落ち着いてきたものの、今度は恥ずかしくなった。

 青葉は自分といて変わったのだろうか。それはどんな変化なのだろう。自分がいない間も、自分のことを思い出してくれているのだろうか。あんな素敵な男性が────。

 少しは期待してもいいのだろうか。恋愛なんて久しぶりすぎてどうしたらいいかも分からない。あんな歳上の男性相手にうまく立ち回れるほど器用でもない。

 けれど想いは重積を増していく。今はもう、青葉と他人に戻るなんて無理だった。
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