とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
ランチから帰ると、聖に「うまくいったのね」と言われた。相当顔に出ていたようだ。
あまり良くないことだと自覚していたが、そんな俊介に聖は「俊介は喜んでくれる人がいると俄然頑張るタイプだからいいんじゃない?」と慰めた。
それだけならいいのだが、いざ綾芽に会うと顔や態度に出ていないか妙に気になってしまう。
仕事人間だったはずなのに、一体いつの間に、こんなにだらしなくなってしまったのだろうか。それもこれも、綾芽のことが気になるようになってからだ。
イベントは別の部署が主体になって動くため、俊介はショッピングモールのオーナー達とのやりとりが主となる。
イベント当日まではあっという間だったが、俊介には長かった。
当日、俊介は聖や本堂と共に朝からイベント会場にいた。イベント自体はまだ始まっていないが、ショッピングモールは開店しているため野外広場の入り口には既にチケットを持った女性が並んでいる。
ショッピングモールは大きな楕円状の建物で、ドーナツのように真ん中に野外広場があった。
俊介が入り口を見ながらソワソワしていると、見かねた聖が呆れたように言った。
「そんなに気になるなら迎えにいったら?」
「子供じゃないんだ。そんなことまで出来るか」
そう言いながらも、俊介の視線は相変わらず入り口を向いている。
やがてオープンの時間になると会場にはどっと人が押し寄せた。女性を中心に、カップルや家族連れと様々だ、俊介はその中に綾芽の姿を探した。
綾芽はオープンして落ち着いてからいくと言っていたから、もう少しすれば来るはずだ。気を紛らわそうとすでに何度も見て回った会場の中を歩き始めた。
会場は人が多いが、落ち着いた流水音のBGMと会場中央に置かれた巨大なアクアリウムのジオラマを見ているおかげか、ざわついているものの比較的落ち着いている。これなら綾芽がうるさいと思うようなことはないだろう。
綾芽は普段はバイトばかりであまり遊ぶことがないと言っていたから、今日は彼女が楽しめるような企画に案内するつもりでいた。
「青葉さん……?」
名前を呼ばれて、俊介は勢いよく振り返った。
そこには綾芽が立っていたが、いつもと格好が違った。
「……立花さん?」
「は、はい。そうです」
失礼だと分かっているのに、俊介は綾芽の格好を上から下まで何度も見た。いつもはシンプルな白いTシャツとジーンズを着ていることがほとんどだが、今日はパステルカラーの紫色のワンピースにヒールが低めのミュールを履いている。髪も少し巻いているし、化粧もしていた。
ひと目見て綾芽だと分かるが、見慣れていないせいか別人のように思えた。
「あの……青葉さん……?」
「あ、ああ……ごめん。あんまり見ない格好をしてたから……」
「すみません。こういうところに来たことがないので、どんな格好をして行ったらいいか分からなくて……」
綾芽はわざわざ服を買ったのだろうか。普段は化粧もほとんどしていない彼女が、この日のためにここまでしたのか。いや、もともと持っていたものかもしれない。普段はバイトに行くからシンプルな格好をしているだけで、休日は可愛い格好をして────。
俊介はいったん妄想を落ち着けて、動悸を飲み込んだ。
率直に、綾芽が可愛いと思った。格好もだが、自分が誘ったイベントにこうやって努力してくれたことが嬉しかった。本当のデートでないのが残念だが、それでも精一杯彼女をエスコートしようと思った。
「その格好、似合ってる」
こんな台詞はドラマの中でしか聞いたことがないが、実際に使うこともあるのだ。もっとうまく褒められたらいいのだが、これ以上言ってしまうと気持ちが知られてしまうから仕方ない。
俊介はデレデレしようとするだらしない頬をシャキッと戻して、会場に案内した。
綾芽はキョロキョロしながら目を輝かせていた。女子がウキウキしそうなものばかり置かれているから当然の反応なのかもしれないが、特別珍しいものは置いていない。だが、それも彼女が遊び慣れていないせいなのかもしれない。
綾芽は俊介が見ていることに気付いたのか、ハッと視線を戻して慌てたように俯いた。
「すみません、子供っぽいですよね」
「いや、喜んでもらえて嬉しいよ。俺も頑張った甲斐があった」
「どうしてアクアリウムのイベントなんですか?」
「ああ、それは聖が────お祭りに行ったことがないって言い始めて、それに取引先の人が食いついてこの企画が持ち上がったんだ。一応あのジオラマは金魚をイメージして作られてる。他の店も、お祭りの出店をイメージしているんだ」
「ああ、なるほど……」
「思いつきでも、いろんな人が楽しんでくれるならやり甲斐があるよ」
「みんな、すごく楽しそうですね。青葉さんが頑張ったから、きっと皆さんにも伝わっているんだと思います」
「ありがとう。そうだ、こっちに立花さんが好きそうなお店があるから紹介するよ」
俊介は近くの店に綾芽を連れて行った。ハンドメイド雑貨の店ばかり集めたブースには、すでに女性が大勢集まっている。
綾芽がこういうものに興味があるかは分からないが、綾芽の年齢なら楽しめるかもしれないと思った。
店の展示スペースには小物からアクセサリーまでいろいろ置かれている。興味があったのか、綾芽はまじまじとそれを眺めた。
「こういうのが好きなのか?」
「自分で買うことはあんまりないんですけど……綺麗なものは好きです」
「そうか。ほら、こっちに立花さんの好きそうな花のやつが置いてある」
俊介は置かれていた商品の一箇所を指差した。恐らくアクセサリーなのだろう。花のモチーフが付いたイヤリングや指輪が置かれていた。
綾芽も、花だからか嬉しそうに眺めていた。
「あ、これってもしかして《《アヤメ》》ですか?」
綾芽が尋ねると、店の店員はそうですよ、と笑顔で答えた。
「あやめ?」
「はい。アヤメってお花です。すごく本物そっくりです」
綾芽が見つめていたのは紫色の花が付いたイヤリングだ。そういう花があったような気がするが、なにせ花に疎いせいで本物が思い出せない。
綾芽は自分と同じ名前の花を見つけたからかそればかり見ていた。随分気にいったようだ。
「じゃあ、それは今日の記念に俺からプレゼントするよ」
「え!?」
「これ、お願いします」
俊介はアヤメのイヤリングを店員に渡した。
「ま……待ってください! 自分で買えます! 青葉さんに買ってもらうなんて────そんなつもりで言ったんじゃありません」
「遠慮しなくていいよ。元はといえば俺から誘ったんだ。わざわざ来てもらったんだから、これぐらいはしないとな」
「そんな……高価なものなのに」
綾芽は随分気にしているようだが、それほど高価なイヤリングではない。二千円ちょっとのハンドメイド品だ。どこかのブランドならともかく、これぐらいなら許してほしいところだ。
店員は安いものなのに丁寧にリボンまでつけてラッピングしてくれた。小さなクラフト紙に包まれたそれを、俊介はすぐに綾芽に渡した。綾芽はおずおずとそれを受け取った。
「今日は来てくれてありがとう」
「青葉さん……」
「今度は、本物のアヤメを教えてくれないか?」
勢いで誘った。だが、俊介は後悔していなかった。
綾芽はこうして来てくれたのだ。全く見込みなしではないはずだ。本当に迷惑なら、このイヤリングだって断るはずだ。
ポジティブに考えたものの、綾芽が言葉を発するまで、心臓は再び落ち着かなさを取り戻していた。心のどこかで断られてしまうかもしれない、と思っていた。
「……アヤメは、春に咲くお花なんです。だから……来年、一緒に……」
綾芽の声はどんどん小さくなっていく。最後の方で、見にいきましょう、と聞こえた。
綾芽は恥ずかしいのか、目を逸らしたままそっぽを向いている。その仕草すら可愛くて、俊介は思わず抱きしめたくなった。
「じゃあ、秋に咲く花でも冬に咲く花でもいいから、教えてくれ。春までまだ長いからな」
返事を聞く必要はないだろう。綾芽が微笑んだのだから。
花を口実にするなんてよく思いついたものだ。とても恋愛初心者とは思えない。
だが、その約束は来年まで彼女と一緒にいられるという保証だった。そしてこれから自分たちの関係が変わる前兆でもあった。
あまり良くないことだと自覚していたが、そんな俊介に聖は「俊介は喜んでくれる人がいると俄然頑張るタイプだからいいんじゃない?」と慰めた。
それだけならいいのだが、いざ綾芽に会うと顔や態度に出ていないか妙に気になってしまう。
仕事人間だったはずなのに、一体いつの間に、こんなにだらしなくなってしまったのだろうか。それもこれも、綾芽のことが気になるようになってからだ。
イベントは別の部署が主体になって動くため、俊介はショッピングモールのオーナー達とのやりとりが主となる。
イベント当日まではあっという間だったが、俊介には長かった。
当日、俊介は聖や本堂と共に朝からイベント会場にいた。イベント自体はまだ始まっていないが、ショッピングモールは開店しているため野外広場の入り口には既にチケットを持った女性が並んでいる。
ショッピングモールは大きな楕円状の建物で、ドーナツのように真ん中に野外広場があった。
俊介が入り口を見ながらソワソワしていると、見かねた聖が呆れたように言った。
「そんなに気になるなら迎えにいったら?」
「子供じゃないんだ。そんなことまで出来るか」
そう言いながらも、俊介の視線は相変わらず入り口を向いている。
やがてオープンの時間になると会場にはどっと人が押し寄せた。女性を中心に、カップルや家族連れと様々だ、俊介はその中に綾芽の姿を探した。
綾芽はオープンして落ち着いてからいくと言っていたから、もう少しすれば来るはずだ。気を紛らわそうとすでに何度も見て回った会場の中を歩き始めた。
会場は人が多いが、落ち着いた流水音のBGMと会場中央に置かれた巨大なアクアリウムのジオラマを見ているおかげか、ざわついているものの比較的落ち着いている。これなら綾芽がうるさいと思うようなことはないだろう。
綾芽は普段はバイトばかりであまり遊ぶことがないと言っていたから、今日は彼女が楽しめるような企画に案内するつもりでいた。
「青葉さん……?」
名前を呼ばれて、俊介は勢いよく振り返った。
そこには綾芽が立っていたが、いつもと格好が違った。
「……立花さん?」
「は、はい。そうです」
失礼だと分かっているのに、俊介は綾芽の格好を上から下まで何度も見た。いつもはシンプルな白いTシャツとジーンズを着ていることがほとんどだが、今日はパステルカラーの紫色のワンピースにヒールが低めのミュールを履いている。髪も少し巻いているし、化粧もしていた。
ひと目見て綾芽だと分かるが、見慣れていないせいか別人のように思えた。
「あの……青葉さん……?」
「あ、ああ……ごめん。あんまり見ない格好をしてたから……」
「すみません。こういうところに来たことがないので、どんな格好をして行ったらいいか分からなくて……」
綾芽はわざわざ服を買ったのだろうか。普段は化粧もほとんどしていない彼女が、この日のためにここまでしたのか。いや、もともと持っていたものかもしれない。普段はバイトに行くからシンプルな格好をしているだけで、休日は可愛い格好をして────。
俊介はいったん妄想を落ち着けて、動悸を飲み込んだ。
率直に、綾芽が可愛いと思った。格好もだが、自分が誘ったイベントにこうやって努力してくれたことが嬉しかった。本当のデートでないのが残念だが、それでも精一杯彼女をエスコートしようと思った。
「その格好、似合ってる」
こんな台詞はドラマの中でしか聞いたことがないが、実際に使うこともあるのだ。もっとうまく褒められたらいいのだが、これ以上言ってしまうと気持ちが知られてしまうから仕方ない。
俊介はデレデレしようとするだらしない頬をシャキッと戻して、会場に案内した。
綾芽はキョロキョロしながら目を輝かせていた。女子がウキウキしそうなものばかり置かれているから当然の反応なのかもしれないが、特別珍しいものは置いていない。だが、それも彼女が遊び慣れていないせいなのかもしれない。
綾芽は俊介が見ていることに気付いたのか、ハッと視線を戻して慌てたように俯いた。
「すみません、子供っぽいですよね」
「いや、喜んでもらえて嬉しいよ。俺も頑張った甲斐があった」
「どうしてアクアリウムのイベントなんですか?」
「ああ、それは聖が────お祭りに行ったことがないって言い始めて、それに取引先の人が食いついてこの企画が持ち上がったんだ。一応あのジオラマは金魚をイメージして作られてる。他の店も、お祭りの出店をイメージしているんだ」
「ああ、なるほど……」
「思いつきでも、いろんな人が楽しんでくれるならやり甲斐があるよ」
「みんな、すごく楽しそうですね。青葉さんが頑張ったから、きっと皆さんにも伝わっているんだと思います」
「ありがとう。そうだ、こっちに立花さんが好きそうなお店があるから紹介するよ」
俊介は近くの店に綾芽を連れて行った。ハンドメイド雑貨の店ばかり集めたブースには、すでに女性が大勢集まっている。
綾芽がこういうものに興味があるかは分からないが、綾芽の年齢なら楽しめるかもしれないと思った。
店の展示スペースには小物からアクセサリーまでいろいろ置かれている。興味があったのか、綾芽はまじまじとそれを眺めた。
「こういうのが好きなのか?」
「自分で買うことはあんまりないんですけど……綺麗なものは好きです」
「そうか。ほら、こっちに立花さんの好きそうな花のやつが置いてある」
俊介は置かれていた商品の一箇所を指差した。恐らくアクセサリーなのだろう。花のモチーフが付いたイヤリングや指輪が置かれていた。
綾芽も、花だからか嬉しそうに眺めていた。
「あ、これってもしかして《《アヤメ》》ですか?」
綾芽が尋ねると、店の店員はそうですよ、と笑顔で答えた。
「あやめ?」
「はい。アヤメってお花です。すごく本物そっくりです」
綾芽が見つめていたのは紫色の花が付いたイヤリングだ。そういう花があったような気がするが、なにせ花に疎いせいで本物が思い出せない。
綾芽は自分と同じ名前の花を見つけたからかそればかり見ていた。随分気にいったようだ。
「じゃあ、それは今日の記念に俺からプレゼントするよ」
「え!?」
「これ、お願いします」
俊介はアヤメのイヤリングを店員に渡した。
「ま……待ってください! 自分で買えます! 青葉さんに買ってもらうなんて────そんなつもりで言ったんじゃありません」
「遠慮しなくていいよ。元はといえば俺から誘ったんだ。わざわざ来てもらったんだから、これぐらいはしないとな」
「そんな……高価なものなのに」
綾芽は随分気にしているようだが、それほど高価なイヤリングではない。二千円ちょっとのハンドメイド品だ。どこかのブランドならともかく、これぐらいなら許してほしいところだ。
店員は安いものなのに丁寧にリボンまでつけてラッピングしてくれた。小さなクラフト紙に包まれたそれを、俊介はすぐに綾芽に渡した。綾芽はおずおずとそれを受け取った。
「今日は来てくれてありがとう」
「青葉さん……」
「今度は、本物のアヤメを教えてくれないか?」
勢いで誘った。だが、俊介は後悔していなかった。
綾芽はこうして来てくれたのだ。全く見込みなしではないはずだ。本当に迷惑なら、このイヤリングだって断るはずだ。
ポジティブに考えたものの、綾芽が言葉を発するまで、心臓は再び落ち着かなさを取り戻していた。心のどこかで断られてしまうかもしれない、と思っていた。
「……アヤメは、春に咲くお花なんです。だから……来年、一緒に……」
綾芽の声はどんどん小さくなっていく。最後の方で、見にいきましょう、と聞こえた。
綾芽は恥ずかしいのか、目を逸らしたままそっぽを向いている。その仕草すら可愛くて、俊介は思わず抱きしめたくなった。
「じゃあ、秋に咲く花でも冬に咲く花でもいいから、教えてくれ。春までまだ長いからな」
返事を聞く必要はないだろう。綾芽が微笑んだのだから。
花を口実にするなんてよく思いついたものだ。とても恋愛初心者とは思えない。
だが、その約束は来年まで彼女と一緒にいられるという保証だった。そしてこれから自分たちの関係が変わる前兆でもあった。