とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
それから小一時間ほど青葉と一緒に会場を回った。少しだけお茶をして、青葉は仕事に戻ると言って別れた。
綾芽はハンドバッグの中に入れた青葉からもらった小さなプレゼントを見て、それが幻や夢でないことを確かめた。
青葉は間違いなく今まで一緒にいた。デートと呼ぶには色気がないが、十分それらしい雰囲気は味わえたし、幸せな言葉ももらった。
いまだに信じられなかった。本当に今日が夢ではないのかと何度も頬をつねった。
まだ恋人にもなっていないのに、随分進歩した気になっていた。だってそうだ。青葉があんな風に言ってくれたのだから。喜ばずにはいられない。
これなら何万も叩いてこの服や靴を揃えた価値はある。
せっかく来たのにもう帰るのはもったいないと、綾芽はもう一周会場を見て回ることにした。来た時から何時間も経過しているが、客は減っているふうではない。どうやらこのイベントは大盛況のようだ。青葉もきっと喜んでいるだろう。
一通り見て、綾芽はそろそろ帰ろうと足の向きを入り口の方へ変えた。
歩いているとやがて視線の先にスーツを着た人物────青葉と聖、そして彼女の夫と言われていた男がいた。
また別のスーツを着た人物と喋っている。仕事の話でもしているのだろうか。少しだけ待って、今日のお礼をもう一度言おうと思った。
「藤宮社長、本日はありがとうございます。おかげさまでイベントは大成功でした」
「いいえ、これも御社がご協力くださったおかげです。私自身とても楽しめました」
綾芽は一瞬耳を疑った。先ほど、男は「藤宮社長」と言った。そしてそれに反応したのは聖だ。
まさか、藤宮コーポレーションの社長は彼女なのだろうか。だとすれば青葉は────。
「それにしても今日は青葉秘書と本堂常務までご一緒だとは思いませんでした。先日はいろいろご提案くださってありがとうございます」
「いえ、うちの社長が大乗り気なもので、これはやらなければと思った次第です」
青葉はジョークを交えて楽しげに談笑していたが、綾芽は遠巻きにそれを聞きながら金縛りにあったように体が動かなくなった。
────青葉、秘書……?
青葉は社長の秘書だったのか。いや、以前尋ねた時、青葉はただの平社員だと言っていた。秘書が平社員なわけがない。しかも藤宮コーポレーションの社長秘書だ。そんじょそこらの秘書とはわけが違う。
今までの出来事が一つの線でつながった。社長秘書なら部下から一目置かれて当然だ。ナンパされた時も、あの社員が驚いていたのは上司だからではなく、社長秘書に咎められたからなのだ。
なぜ青葉は嘘をついていたのだろう。社長秘書でいることでなにか不都合なことがあったのだろうか。それとも、ステータス目当てにされることが嫌だったから嘘をついていたのか。
綾芽はショックを受けていた。それは嘘をつかれたことにではなく、青葉が社長秘書であることで自分と青葉の間に遠い距離と深い溝が出来たからだ。
とても挨拶する気分にはなれなくて足早に出口へ向かった。さっきまで抱いていた幸福な気持ちは、一瞬で悲しいものへ変わった。
泣きそうになるのを堪えながら、今日一日を振り返った。
綺麗な格好をして勘違いしていたのだ。少し綺麗な格好をしてたくらいでなにを浮かれているのだろう。蓋を開ければただの借金娘だ。
自分はとても、彼に釣り合うようなものを持っていない。
親もいなければ頼るものもない。自分の足で立っていると言っていても、それも心許ない。大企業に勤めている青葉とは、最初から住む世界が違ったのだ。
一瞬、幸せだった。青葉は悲しい現実から目を背ける口実だった。けれどそれはただの夢だ。
彼の優しさを勘違いしていたのだ。本当の自分はただの惨めな女だ。どうして王子様の横に立てるなどと思ったのだろう。
綾芽はハンドバッグの中に入れた青葉からもらった小さなプレゼントを見て、それが幻や夢でないことを確かめた。
青葉は間違いなく今まで一緒にいた。デートと呼ぶには色気がないが、十分それらしい雰囲気は味わえたし、幸せな言葉ももらった。
いまだに信じられなかった。本当に今日が夢ではないのかと何度も頬をつねった。
まだ恋人にもなっていないのに、随分進歩した気になっていた。だってそうだ。青葉があんな風に言ってくれたのだから。喜ばずにはいられない。
これなら何万も叩いてこの服や靴を揃えた価値はある。
せっかく来たのにもう帰るのはもったいないと、綾芽はもう一周会場を見て回ることにした。来た時から何時間も経過しているが、客は減っているふうではない。どうやらこのイベントは大盛況のようだ。青葉もきっと喜んでいるだろう。
一通り見て、綾芽はそろそろ帰ろうと足の向きを入り口の方へ変えた。
歩いているとやがて視線の先にスーツを着た人物────青葉と聖、そして彼女の夫と言われていた男がいた。
また別のスーツを着た人物と喋っている。仕事の話でもしているのだろうか。少しだけ待って、今日のお礼をもう一度言おうと思った。
「藤宮社長、本日はありがとうございます。おかげさまでイベントは大成功でした」
「いいえ、これも御社がご協力くださったおかげです。私自身とても楽しめました」
綾芽は一瞬耳を疑った。先ほど、男は「藤宮社長」と言った。そしてそれに反応したのは聖だ。
まさか、藤宮コーポレーションの社長は彼女なのだろうか。だとすれば青葉は────。
「それにしても今日は青葉秘書と本堂常務までご一緒だとは思いませんでした。先日はいろいろご提案くださってありがとうございます」
「いえ、うちの社長が大乗り気なもので、これはやらなければと思った次第です」
青葉はジョークを交えて楽しげに談笑していたが、綾芽は遠巻きにそれを聞きながら金縛りにあったように体が動かなくなった。
────青葉、秘書……?
青葉は社長の秘書だったのか。いや、以前尋ねた時、青葉はただの平社員だと言っていた。秘書が平社員なわけがない。しかも藤宮コーポレーションの社長秘書だ。そんじょそこらの秘書とはわけが違う。
今までの出来事が一つの線でつながった。社長秘書なら部下から一目置かれて当然だ。ナンパされた時も、あの社員が驚いていたのは上司だからではなく、社長秘書に咎められたからなのだ。
なぜ青葉は嘘をついていたのだろう。社長秘書でいることでなにか不都合なことがあったのだろうか。それとも、ステータス目当てにされることが嫌だったから嘘をついていたのか。
綾芽はショックを受けていた。それは嘘をつかれたことにではなく、青葉が社長秘書であることで自分と青葉の間に遠い距離と深い溝が出来たからだ。
とても挨拶する気分にはなれなくて足早に出口へ向かった。さっきまで抱いていた幸福な気持ちは、一瞬で悲しいものへ変わった。
泣きそうになるのを堪えながら、今日一日を振り返った。
綺麗な格好をして勘違いしていたのだ。少し綺麗な格好をしてたくらいでなにを浮かれているのだろう。蓋を開ければただの借金娘だ。
自分はとても、彼に釣り合うようなものを持っていない。
親もいなければ頼るものもない。自分の足で立っていると言っていても、それも心許ない。大企業に勤めている青葉とは、最初から住む世界が違ったのだ。
一瞬、幸せだった。青葉は悲しい現実から目を背ける口実だった。けれどそれはただの夢だ。
彼の優しさを勘違いしていたのだ。本当の自分はただの惨めな女だ。どうして王子様の横に立てるなどと思ったのだろう。