とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
次の週、俊介はまた綾芽にメッセージを送った。
内容は簡潔に「仕事は落ち着いた?」、だけにした。それは相手に負担をかけないためと、自分が傷付かないようのする予防線だった。心のどこかで、まだ尻込んでいたのかもしれない。
だが、その予防線は正解だったようだ。綾芽の返事は先週と同じだった。
二週連続で断られると、さすがの俊介も焦り始めた。聖は気にし過ぎだと言ったが、どうも様子がおかしい気がする。
自分が知る限り、綾芽は朝から夕方まではコンビニでバイトしている。夜は不規則に仕事が変わるから詳しくは把握していないが、ランチに来れないということはコンビニの仕事が増えたのか。
だが、綾芽は社員ではない。本社にあるからと言って、綾芽がバイト以上のことをさせられるようなことはない。店長のことも知っているが、本社の足元にある分仕事に無理がないよう管理は徹底されていた。
ならなぜ、綾芽は仕事が忙しいなどと言ったのだろう。もう一方の仕事が忙しくて覚えることがあるのだろうか。ランチの時間も有効に使いたいと思うのなら分かる。
それにしては綾芽の言葉は妙によそよそしかった。綾芽は無駄な会話をするタイプではないが、それにしても他人行事すぎる。まるで上司に送るようなメッセージだ。
いてもたってもいられなくて、俊介は次の日コンビニから客が空く時間を狙って綾芽に会いに行った。
綾芽は接客をしている最中だった。その表情はいつもと変わらない。だが、妙に冷たく思えるのはあのメッセージの返事のせいだろうか。
俊介は客がいなくなったのを見計らって綾芽に声をかけた。
「お疲れ様」
綾芽は少し驚いていたようだったが、お疲れ様です、と返事を返してくれた。
「最近、忙しいみたいだから様子が気になってたんだ。仕事は……どう?」
「おかげさまで、特に問題はありません」
「……立花さん、何かあったのか……?」
やはり綾芽は様子がおかしい。あまりにも他人行事すぎる。ついこの間まではもっと気さくに喋っていたはずだ。
綾芽は気まずそうな顔をしてペコリと頭を下げた。
「すみません。今は仕事中なのでちょっと……」
「なら、いつでもいい。話を聞くから時間をとってくれないか」
「……青葉さん。私も忙しいんです。正直、今の状態で手一杯なんです」
綾芽の瞳は冷静だった。それは冷たい、とか怖い、とかそういうものではなくて、何もないという表現が適当だった。
俊介は悪い夢でも見ているような気分になった。
あの時に見た綾芽は夢だったのだろうか。自分のために紫色のワンピースを着てきた綾芽は、小さな包みを持って嬉しそうに微笑んでいた。
あれは全て自分の勝手な勘違いだったのだろうか。それとも、気持ちが重かったのだろうか。まだ好きとも言っていないのに────。
「……俺がやったことは、迷惑だったのか?」
「……色々してくださって感謝しています。でも正直、私には重いんです」
耳でもおかしくなったのだろうか。店内にはいつも専用局のラジオがかかっていたはずなのに、辺りからまるで音が消えたようだった。
入店のBGMが鳴って、ようやく俊介の意識は現実に帰ってきた。そうか、と小さく答えて俊介はゆっくりした足取りで店を出た。
会社のロビーには人がチラホラいた。誰も彼もが俊介の姿を見つけるとお疲れ様です、と声をかけてくるが、いつもなら笑顔を浮かべる俊介も、今はそれができなかった。
エレベーターに乗り込んだところで、ガラスの壁にもたれたまま地面にぺたんと腰をつけた。
────なんで分からなかった……?
やるせない気持ちが込み上げて乾いた笑いが口から出た。
綾芽に気持ちを悟られてしまったのだろうか。だから重く感じたのだろうか。ああ、そうだ、自分は失恋したのだと遅れて悟った。
聖の時、こんな思いになっただろうか。本堂と聖が思い合っていると知った時、こんなに苦しい気持ちになったことが一度でもあったか。いや、ない。
あの時はもっと喜べた。聖と本堂を素直に祝福できた。
思えば、自分が聖に対して抱いていてのは恋ではなかったのかもしれない。それはとても似ているものだが、恋とは別物だった。
綾芽に感じていたのはもっと衝動的なものだった。思わずそうせずにはいられなくて、視線は気が付かないうちに彼女へ向く。綾芽が笑ってくれることが嬉しくて、そのためならどんなことでも苦に思わなかった。綾芽の感情が動く小さな瞬間を、ずっと見ていたかったのだ。
けれどそれは本当に独りよがりだったようだ。自分が知る限り、綾芽は社員の男を二人振っている。同じ職場で働いているのだ。ややこしいのはごめんなのだろう。
それでも、気を遣って食事してくれていたのだろうか。あの笑顔も、実は愛想笑いだったのだろうか。
「俺には花のことなんて分からないからな……」
アヤメの花を調べたのだ。綾芽が好きな花のことを。五月の上旬に咲くアヤメは花期が短く、咲いてもすぐに枯れてしまうと────。
内容は簡潔に「仕事は落ち着いた?」、だけにした。それは相手に負担をかけないためと、自分が傷付かないようのする予防線だった。心のどこかで、まだ尻込んでいたのかもしれない。
だが、その予防線は正解だったようだ。綾芽の返事は先週と同じだった。
二週連続で断られると、さすがの俊介も焦り始めた。聖は気にし過ぎだと言ったが、どうも様子がおかしい気がする。
自分が知る限り、綾芽は朝から夕方まではコンビニでバイトしている。夜は不規則に仕事が変わるから詳しくは把握していないが、ランチに来れないということはコンビニの仕事が増えたのか。
だが、綾芽は社員ではない。本社にあるからと言って、綾芽がバイト以上のことをさせられるようなことはない。店長のことも知っているが、本社の足元にある分仕事に無理がないよう管理は徹底されていた。
ならなぜ、綾芽は仕事が忙しいなどと言ったのだろう。もう一方の仕事が忙しくて覚えることがあるのだろうか。ランチの時間も有効に使いたいと思うのなら分かる。
それにしては綾芽の言葉は妙によそよそしかった。綾芽は無駄な会話をするタイプではないが、それにしても他人行事すぎる。まるで上司に送るようなメッセージだ。
いてもたってもいられなくて、俊介は次の日コンビニから客が空く時間を狙って綾芽に会いに行った。
綾芽は接客をしている最中だった。その表情はいつもと変わらない。だが、妙に冷たく思えるのはあのメッセージの返事のせいだろうか。
俊介は客がいなくなったのを見計らって綾芽に声をかけた。
「お疲れ様」
綾芽は少し驚いていたようだったが、お疲れ様です、と返事を返してくれた。
「最近、忙しいみたいだから様子が気になってたんだ。仕事は……どう?」
「おかげさまで、特に問題はありません」
「……立花さん、何かあったのか……?」
やはり綾芽は様子がおかしい。あまりにも他人行事すぎる。ついこの間まではもっと気さくに喋っていたはずだ。
綾芽は気まずそうな顔をしてペコリと頭を下げた。
「すみません。今は仕事中なのでちょっと……」
「なら、いつでもいい。話を聞くから時間をとってくれないか」
「……青葉さん。私も忙しいんです。正直、今の状態で手一杯なんです」
綾芽の瞳は冷静だった。それは冷たい、とか怖い、とかそういうものではなくて、何もないという表現が適当だった。
俊介は悪い夢でも見ているような気分になった。
あの時に見た綾芽は夢だったのだろうか。自分のために紫色のワンピースを着てきた綾芽は、小さな包みを持って嬉しそうに微笑んでいた。
あれは全て自分の勝手な勘違いだったのだろうか。それとも、気持ちが重かったのだろうか。まだ好きとも言っていないのに────。
「……俺がやったことは、迷惑だったのか?」
「……色々してくださって感謝しています。でも正直、私には重いんです」
耳でもおかしくなったのだろうか。店内にはいつも専用局のラジオがかかっていたはずなのに、辺りからまるで音が消えたようだった。
入店のBGMが鳴って、ようやく俊介の意識は現実に帰ってきた。そうか、と小さく答えて俊介はゆっくりした足取りで店を出た。
会社のロビーには人がチラホラいた。誰も彼もが俊介の姿を見つけるとお疲れ様です、と声をかけてくるが、いつもなら笑顔を浮かべる俊介も、今はそれができなかった。
エレベーターに乗り込んだところで、ガラスの壁にもたれたまま地面にぺたんと腰をつけた。
────なんで分からなかった……?
やるせない気持ちが込み上げて乾いた笑いが口から出た。
綾芽に気持ちを悟られてしまったのだろうか。だから重く感じたのだろうか。ああ、そうだ、自分は失恋したのだと遅れて悟った。
聖の時、こんな思いになっただろうか。本堂と聖が思い合っていると知った時、こんなに苦しい気持ちになったことが一度でもあったか。いや、ない。
あの時はもっと喜べた。聖と本堂を素直に祝福できた。
思えば、自分が聖に対して抱いていてのは恋ではなかったのかもしれない。それはとても似ているものだが、恋とは別物だった。
綾芽に感じていたのはもっと衝動的なものだった。思わずそうせずにはいられなくて、視線は気が付かないうちに彼女へ向く。綾芽が笑ってくれることが嬉しくて、そのためならどんなことでも苦に思わなかった。綾芽の感情が動く小さな瞬間を、ずっと見ていたかったのだ。
けれどそれは本当に独りよがりだったようだ。自分が知る限り、綾芽は社員の男を二人振っている。同じ職場で働いているのだ。ややこしいのはごめんなのだろう。
それでも、気を遣って食事してくれていたのだろうか。あの笑顔も、実は愛想笑いだったのだろうか。
「俺には花のことなんて分からないからな……」
アヤメの花を調べたのだ。綾芽が好きな花のことを。五月の上旬に咲くアヤメは花期が短く、咲いてもすぐに枯れてしまうと────。