とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 綾芽に振られた────。その事実はいくら仕事が忙しくなろうと付き纏った。

 なにせ、時間は過ぎて行く。綾芽と会っていた木曜も毎週やってくるのだから。

 木曜にならなくても、コンビニの前を通れば、昼になれば、スマホを見れば、いやでもその存在を思い出す。思い出さないようにと努力したが無駄だった。

 木曜の十二時。ジェイソンじゃないが、俊介はその時間が来るとまた現実を思い知った。そしてまた、思い知らせるように本堂が口を開く。

「おい、青葉。お前飯いいのか」

 本人に悪気はないのだろう。だが、その親切が今は疎ましかった。もうそのお知らせはしなくてもよくなったのだ。

「いいんだ」

「今週も忙しいのか」

「……もう行かなくてもいいんだ」

「は?」

 本堂は俊介の方を向いて素っ頓狂な声をあげた。

「どういうことだ」

「だから、もう行かなくてもよくなったんだ」

「だから、一体どういうことだっつってんだ。忙しいから断られてたんじゃなかったのか」

「振られた」

 それは短いくせにやけに重みのある言葉だった。声に出すと余計に。さすがの本堂も二の句が告げなかったようだ。少しの間黙ったままだった。

 ガチャリと扉が開き、そこから聖が顔を出した。昼休憩に誘いにきたのだろう。次に彼女が紡ぐ言葉がわかって俊介は溜息をついた。

「あれ、俊介今日ランチは?」

「ない」

「え、ないって……」

 俊介が嫌そうに答えると、本堂が聖にこそっと耳打ちした。言っている内容は分かっているが、何度も同じことを口にするのは嫌だから助かった。

 聖はえっと声をあげて俊介に近付いた。

「どういうこと……?」

 聖も信じられなかったのだろう。俊介自身、そう思っている。あれはただの夢で、現実はそうではないのだと。

 だが、綾芽からメッセージがくることはない。あれが夢であることを証明することは何も起きない。

「……そう、なら一緒にお昼にいきましょ。いい定食屋さん見つけたの」

 聖は何も聞かず、ニコッと笑った。俊介は頷いた。一人でいても悶々とするだけだ。それなら二人と一緒にいたほうが気が紛れるかもしれない。

 聖は俊介が一度も行ったことのない、賑やかな定食屋へ入った。昼は定食屋、夜は居酒屋をやっているようなサラリーマン向けのよくある食堂だ。

 中はサラリーマンばかりだ。聖は気にしていないのか、慣れた様子で席についた。

「ここのオススメは唐揚げ定食よ」

 もう何度も来たのだろう。聖はメニューのどれがいいか勝手に説明している。本堂は呆れた様子でそれを聞いていた。

 仲のいい二人だ。聖はお嬢様育ちのくせにこんな安い定食屋が好きでよく本堂を連れ回しているようだが、本堂は迷惑そうではない。聖が楽しそうに話すのを、いつも愉快そうに眺めている。

 そこに嫉妬の感情はない。ただ、どうして自分は綾芽とそうなれなかったのか。それを思い出して悲しい気持ちになるだけだ。

 綾芽には最初から無理ばかりさせていたかもしれない。彼女は自分の生活を守るのに精一杯で、食事に行く余裕もなかったのかもしれない。それなのに自分の都合で連れ回して、彼女の迷惑になるようなことばかりしてきた。

 それでも彼女は優しいから気を使ってくれていたのだろう。酔った自分を介抱してくれたり、毎週ランチに付き合ってくれた。

 だが、それは結局自分の欲を満たしたいだけで綾芽のことを本当に思いやっていたわけではなかったのだ。

 本堂のように自分を顧みず行動していれば彼女も振り向いてくれただろうか。聖のように他人を思いやる心を持っていれば彼女にも伝わっただろうか。

 ろくに喋らないまま昼休憩は終わった。仕事に戻ると聖は山ほど仕事を振ってきたが、今はそれが逆に有り難かった。忙しければ綾芽のことを忘れることが出来るかもしれない。記憶の隅に追いやれるかもしれない。

 結局自分は仕事しかなくなった。もうそれ以外は考えるなということだろうか。

「おい、青葉」

 淡々と仕事をこなしていると、ふと本堂が声を掛けてきた。

「今日、久々に飲みに行かねえか」

 本堂から誘ってくるとは珍しい。だが、分かりやすい気遣いだ。

 飲んだところで綾芽のことが忘れられるわけではないが、一瞬ぐらいは気が紛れるかもしれない。気の抜けたような返事をして、手元の仕事に集中した。
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