とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 本堂とは一緒に仕事をして五年ほどだが、一緒に飲みに行ったのはたった一度だけだった。

 その時は俊介から誘ったが、その時もほぼヤケ酒だった。あの時は確か、聖がとんでもない馬鹿男の婚約者を連れてきて、本堂と二人で愚痴を言いながら終電ギリギリまで飲んだのだ────主に俊介が。

 今度もどうせそうなるだろう。分かっていたが、俊介は本堂の好意に甘えた。

 俺は詳しくないから、と言われたので、場所は俊介が選ぶことになった。俊介もそれほど飲む方ではないし酒は強くないが、藤宮家執事時代に教えてもらった酒の美味い場所はいくらでも知っている。それこそ、先代の藤宮社長が行っていた高級クラブも知っていた。  

 だが、今日は静かに飲みたい気分だ。適当に目星をつけ二人でタクシーに乗り込んだ。



 店には落ち着いたジャズ・クラシックがかかっている。俊介は広い店内をみ見渡し、窓際の席に腰掛けた。

「お前は酒に強くねえくせにこういう店は知ってるよな」

「しょうがないだろ。旦那様が酒好きだったんだ」

「あのタヌキも、今は大人しいらしいな」

「現役じゃないからな。多少丸くなっても仕方ないさ」

 俊介はメニューに書かれた酒を適当に頼んだ。どうせ何を飲んでも酔うのだ。味もどうでもよかった。今は何を飲んでも美味しいと感じないだろうから。

 てっきり本堂は綾芽のことを尋ねるために呼んだのだと思っていたが、いつまで経ってもその話題を振ってくることはなかった。本当に慰めるために誘ったのかもしれない。

 本堂のようにストレートな男が慰めるなんておかしな気もするが、彼なりに気を遣ってくれているのだろう。

「お前と飲むのも五年ぶりか……あの時からもうそんなに経ったんだな」

「五年つっても大して変わりゃしねえ。まあ、あの時は色々あったな……」

「辞表事件な」

「……やめろ。聖といいお前らは揃いも揃って蒸し返すな」

「────お前が辞表を出した気持ち、よく分かる」

 グラスの中の氷がからりと音を立てた。俊介は色のついたその水を傾けてじっと眺めた。

 五年前、本堂は辞表を出した。聖が別の男と婚約してしまい、ショックを受けたからだ。その時彼は聖のことが好きだとようやく自覚したようだが、自殺した父親の復讐と聖への想いに苛まれ、会社から離れるという選択をとった。

 あのクールな本堂がそれだけのアクションを取ったのだ。彼も相当参っていたのだろう。

 その時俊介はいくらなんでもやりすぎだと思った。聖が好きで、力になりたいなら自分のように執事として、秘書としてそばにいることもできる。

 だが、本堂はそれを選べなかった。当然だ。本堂は本当に聖のことを愛していたのだから。好きな女性が目の前で他の男と仲良くしているのを黙って見ていられるわけがない。

 今頃それが分かったのだ。今同じ会社にいて苦しい。近くにいても声をかけることも出来ない。ただ綾芽に拒否されたことがこんなにも辛かった。

「……お前の勘違いじゃねえんだろ」

「はっきり言われたんだ。重いって」

「心当たりは」

「ありまくりだ」

「俺も一瞬、会場で会った。話まではしなかったが……聖から聞く限りじゃ、すごくお前のことを大事に思ってる、んだとよ」

「そんなわけないだろ……俺はフラれたんだぞ」

「好きって言ったのか」

「いや……」

「ただ重いって言われただけなら尚早だ。もう少し様子を見てもいいんじゃねえのか」

「俺の心臓は鋼じゃないんだ。あんなふうに言われて、また拒絶されたら今度こそ立ち上がれなくなる」

「恋愛なんて、楽しいばっかじゃねえからな」

「お前は聖と仲良くやってるんだろ」

「基本はな。それでも俺だってイライラするときぐらいある。あいつは無自覚ホイホイなんでな」

「なんだそれ?」

「別々の人間なんだ。衝突だってする。それでもそれもひっくるめて俺はあいつと一緒にいたいと思った。一緒にいて成長できるから一緒にいるんだ。お前もそうだと思ったからそいつと一緒にいたんだろ」

「いや……」

 成長、なんてそんないいものだっただろうか。むしろその逆だ。

 綾芽といるとちっともうまくいかない。今までのようにやっていればなんでもうまくいったのに綾芽にはそれが逆効果になってばかりだ。真面目にやっているのに否定されるなんて今まではなかった。

 感情のコントロールもできない。モヤモヤするし、辛い気持ちになる。綾芽の笑顔を見れないと思うと、人生からとても大きなものがなくなった気分だ。

 たかが人間一人に大袈裟だ。だが、綾芽の存在は大きかった。

 その悲しみを感じるのは、綾芽がいたことでそこに幸福があったからだ。だから欠けたと思うのだ。

「辞表だけは出すよ。同じ部署から二人も出すと流石に聖が混乱する」

「俺はお前とは違う。辞表なんて出さないさ……」

「そうしそうなぐらいには悲壮なツラしてるんでな」

 俊介が五杯目を飲んだところでお開きになった。酔っているが、帰れないほどではない。一人で立って歩けるレベルだ。

 店から出て、俊介は道沿いに置かれたベンチに腰掛けた。

「おい、大丈夫かよ」

 俊介は項垂れた。気分は悪くないが、別のことを思い出した。

 あの時も、こうして飲んでいたのだ。気分が悪くなって下を向いていると、声を掛けられた。そこには綾芽がいた。

 顔をあげた。だが、そこにいるのは心配そうに覗き込む本堂だけだ。

 ────大丈夫なもんか。

 酒ぐらいで忘れられるような存在ではなかったのだ。本気で綾芽のことが好きだったのだから。
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