とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
第12話 信じる心に花束を
スマホの画面を見つめたまま、綾芽は溜息をついた。
画面に並んだメッセージは全て青葉からのものだ。あの日別れてから何度か気にかけるような文章を送られてきた。
だが、そのいずれにも綾芽はそっけない返事を返した。心の中は別のことを思っていても、そうせざるを得ないような気がした。
心が晴れないまま出勤し、スーツを着た社員達の接客をしながら視線は青葉に似た姿を探した。スーツを着た人間なんて山ほどいるのに、この中で青葉を見つけろと言われたら出来る自信がある。
青葉は黒か紺かグレーのスーツを着ていることが多い。ネクタイは濃いグリーン。いつも姿勢がよくて、立っているだけで分かるほどだ。
青葉は来るだろうか。きっと来るだろう。だが、その時自分はどんな態度を取ればいいのか、いまだに迷っていた。
青葉が社長秘書だと知っていたら、今まであんな態度はとらなかっただろう。もっと礼儀正しくしていたに違いない。
社長秘書相手に怒って食事の途中で帰ったり、並んで食事したり、やりたい放題だ。以前失礼な態度を取ったときにクビにさせられるかもしれないと思ったことがあったが、青葉は実際そういうことも出来るようなポジションだったわけだ。
自分の首が繋がっているのはひとえに青葉が優しいからにほかならない。
馬鹿な話だ。社長の秘書相手に恋心を抱いて────。つまらない色仕掛けが通用するような相手ではなかったのに。
自分が大金を叩いて買ったあの服の値段も、青葉にとっては端金だったはずだ。小娘が得意になって、ちょっと背伸びしただけだ。
青葉が買ってくれたあのイヤリングも、そんなつもりで贈ったわけではないのだろう。二千円のイヤリングなんて、弁当の値段と大して変わらない。自分にとっては大金でも、青葉にとってはそうではないのだ。
「お疲れ様」
客が引いた途端、声を掛けられた。青葉だった。ぼんやりしていたのだろうか、入ってきたことに気が付かなかった。
なんとか上擦った声でお疲れ様ですと答えた。
「最近、忙しいみたいだから様子が気になってたんだ。仕事は……どう?」
そっけない返事を返したから気にしていたのだろうか。青葉の表情は少し心配気だ。
「おかげさまで、特に問題はありません」
「……立花さん、何かあったのか……?」
────どうして黙っていたんですか。
思わず聞きたくなった。もし最初から言ってくれれば、あんな態度を取らなかっただろう。失礼のないように振る舞ったはずだ。
そして、身分不相応な恋をすることもなかった。
「すみません。今は仕事中なのでちょっと……」
「なら、いつでもいい。話を聞くから時間をとってくれないか」
「……青葉さん。私も忙しいんです。正直、今の状態で手一杯なんです」
綾芽はぼんやりと青葉を見つめた。できるだけ感情が伝わらないように。好きだなんて知られたら、また傷付くことになる。青葉だってガッカリするはずだ。
意味のないことはやめたほうがいい。青葉のような人間とは本来関わらないはずなのだから。
「……俺がやったことは、迷惑だったのか?」
青葉は悲しそうに言った。綾芽は泣きそうだった。
「……色々してくださって感謝しています。でも正直、私には重いんです」
こんな言い方をしたら、また萩原に氷の女王なんて言われるに違いない。だが、それ以外に思いつかなかった。
不思議だ。いつも告白はこんなふうに断っていたはずなのに、悲しい気持ちになったのは青葉だけだ。
そうか、と返事が聞こえた。綾芽はどこかほっとして、そしてその言葉にショックを受けた。
入店のBGMが鳴って、別の客が入って来た。青葉は何も言わずに店から出て行った。
────これでよかったんだ。
それなのに瞳は潤んでいた。
青葉は重い。真面目すぎて疲れるのだ。一緒にいると気を遣ってばかりで、ちっとも楽じゃない。
けれど、心が動いたのは青葉だけだった。何も考えずに笑えたのは青葉だけだったのだ。
綾芽は客が来る前に後ろを向いて、涙を拭った。そしてまた振り返って、笑顔を作った。
画面に並んだメッセージは全て青葉からのものだ。あの日別れてから何度か気にかけるような文章を送られてきた。
だが、そのいずれにも綾芽はそっけない返事を返した。心の中は別のことを思っていても、そうせざるを得ないような気がした。
心が晴れないまま出勤し、スーツを着た社員達の接客をしながら視線は青葉に似た姿を探した。スーツを着た人間なんて山ほどいるのに、この中で青葉を見つけろと言われたら出来る自信がある。
青葉は黒か紺かグレーのスーツを着ていることが多い。ネクタイは濃いグリーン。いつも姿勢がよくて、立っているだけで分かるほどだ。
青葉は来るだろうか。きっと来るだろう。だが、その時自分はどんな態度を取ればいいのか、いまだに迷っていた。
青葉が社長秘書だと知っていたら、今まであんな態度はとらなかっただろう。もっと礼儀正しくしていたに違いない。
社長秘書相手に怒って食事の途中で帰ったり、並んで食事したり、やりたい放題だ。以前失礼な態度を取ったときにクビにさせられるかもしれないと思ったことがあったが、青葉は実際そういうことも出来るようなポジションだったわけだ。
自分の首が繋がっているのはひとえに青葉が優しいからにほかならない。
馬鹿な話だ。社長の秘書相手に恋心を抱いて────。つまらない色仕掛けが通用するような相手ではなかったのに。
自分が大金を叩いて買ったあの服の値段も、青葉にとっては端金だったはずだ。小娘が得意になって、ちょっと背伸びしただけだ。
青葉が買ってくれたあのイヤリングも、そんなつもりで贈ったわけではないのだろう。二千円のイヤリングなんて、弁当の値段と大して変わらない。自分にとっては大金でも、青葉にとってはそうではないのだ。
「お疲れ様」
客が引いた途端、声を掛けられた。青葉だった。ぼんやりしていたのだろうか、入ってきたことに気が付かなかった。
なんとか上擦った声でお疲れ様ですと答えた。
「最近、忙しいみたいだから様子が気になってたんだ。仕事は……どう?」
そっけない返事を返したから気にしていたのだろうか。青葉の表情は少し心配気だ。
「おかげさまで、特に問題はありません」
「……立花さん、何かあったのか……?」
────どうして黙っていたんですか。
思わず聞きたくなった。もし最初から言ってくれれば、あんな態度を取らなかっただろう。失礼のないように振る舞ったはずだ。
そして、身分不相応な恋をすることもなかった。
「すみません。今は仕事中なのでちょっと……」
「なら、いつでもいい。話を聞くから時間をとってくれないか」
「……青葉さん。私も忙しいんです。正直、今の状態で手一杯なんです」
綾芽はぼんやりと青葉を見つめた。できるだけ感情が伝わらないように。好きだなんて知られたら、また傷付くことになる。青葉だってガッカリするはずだ。
意味のないことはやめたほうがいい。青葉のような人間とは本来関わらないはずなのだから。
「……俺がやったことは、迷惑だったのか?」
青葉は悲しそうに言った。綾芽は泣きそうだった。
「……色々してくださって感謝しています。でも正直、私には重いんです」
こんな言い方をしたら、また萩原に氷の女王なんて言われるに違いない。だが、それ以外に思いつかなかった。
不思議だ。いつも告白はこんなふうに断っていたはずなのに、悲しい気持ちになったのは青葉だけだ。
そうか、と返事が聞こえた。綾芽はどこかほっとして、そしてその言葉にショックを受けた。
入店のBGMが鳴って、別の客が入って来た。青葉は何も言わずに店から出て行った。
────これでよかったんだ。
それなのに瞳は潤んでいた。
青葉は重い。真面目すぎて疲れるのだ。一緒にいると気を遣ってばかりで、ちっとも楽じゃない。
けれど、心が動いたのは青葉だけだった。何も考えずに笑えたのは青葉だけだったのだ。
綾芽は客が来る前に後ろを向いて、涙を拭った。そしてまた振り返って、笑顔を作った。