とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
今日の仕事が終わり、俊介はいつものようにロビーに降りた。
コンビニに寄ってから帰ろうか。一瞬そう思ったが、二人が一緒にいるところを見たらまた発狂してしまいそうで止めた。
そのままロビーを通り過ぎようとしたときだった。
「青葉さん!」
後ろから声を掛けられて振り返った。俊介は一瞬首を傾げたが、すぐに受付嬢の杉野だと分かった。
杉野はいつもの藤色の制服ではなく、私服を着ていた。私服とは言っても、綺麗目なジャケットにレースをあしらったフレアスカートを履いていた。いわゆるコンサバファッションというやつだ。
「杉野さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。青葉さんもこれからお帰りですか?」
「はい、そうです」
「もしよかったら、これから一緒にご飯でもいかがですか?」
杉野とは仕事上、よく喋る。受付嬢をしているため取り次ぎの電話で話すこともあるし、訪問者が多いためそれらを管理する受付嬢と社長秘書である俊介が話すのは当然だった。
二人で食事に出掛けたことは一度もないが、会社の集まりでなら何回かある。杉野に誘われても、特別奇妙には思わなかった。
「もし用事があったなら気になさらないでください。ひとりで食べても面白くないので気軽に話せる人とご飯に行きたかっただけですから」
杉野は気にしないで、と手を振った。
俊介は少しだけ考えた。今は他の女性と食事に行く気にはならないが、綾芽に対する気持ちが本物がどうか確かめることができるかもしれない。杉野は今まで自分に好意があるようなそぶりは見せなかったし、さらっとしたタイプだ。特に警戒する必要はないと判断した。
「じゃあ、是非」
「よかった、断られたら家で晩酌するところでした」
面白おかしく言って杉野はニコッと笑った。
杉野が連れて行ったのは創作料理を出す少し賑やかな店だった。こぢんまりしていて、あまり高そうな店ではない。だが、店内は女性客で一杯であった。
なぜ杉野は自分を連れて来たのか、俊介は疑問に思った。それこそ他の同僚を誘えばいい。
「こういうところは女性同士で来た方が楽しいんじゃないですか?」
「違うんです。実はここ、期間限定で恋人同士で来ると食後にスペシャルデザートが付いてくるんです。すみません、青葉さん今日は恋人役になってもらえませんか?」
「いや、それは────」
「役って言ってもお店の人には分かりませんから。普通にお喋りするだけですよ」
なんだ、と安心した。いくらなんでも好意を持っていない人間の恋人役なんて出来ない。恐らく真面目な自分には一番向かない役だろう。
「この店のデザートは有名なんです。どうしてもちょっとも食べたくて……利用したみたいでごめんなさい」
杉野は照れたように笑った。それを見ると、なんだか仕方ないな、と思えた。
杉野は受付嬢という会社でもかなりの綺麗どころポジションだが、高嶺の花に見えて実際は面白い女性だ。受付嬢をしているだけあってコミュニケーション能力は抜群で、その辺りは自分よりも上なのではないだろうか。それもあって一緒に食事しても変な雰囲気にはならないだろうと思った。
「青葉さんもしかして彼女いましたか? だとしたらごめんなさい」
「……いや、いないから気にしないでください」
「そうなんですか? 勝手にいるんだとばかり思ってました。 本堂常務が結婚した時、会社の女の子達はずいぶん泣きましたけど、青葉さんに彼女がいたら全員仕事欠勤するんじゃないでしょうか。ほら、芸能人のなんとかさんが結婚した時みたいに」
「それはないですよ」
杉野はおかしそうにクスクスと笑った。青葉もつられて笑った。だが、すぐに気持ちは薄暗い方へ向いた。自分がもし他の女性と付き合ったら、綾芽はどうするだろうか。きっとどうもしないだろう。興味もない────だろうか。
「女性は────どういう男性が好きなんですか?」
「それは……人によりますし、ちょっと私には分からないです」
杉野は困ったように答えた。それもそうだ。聞き方が曖昧すぎた。
「うーん、青葉さんのことが好きそうな女性はたくさんいますから、真面目で、落ち着いた人────ですかね」
「杉野さんはどうなんですか?」
「私ですか? そうですね、面白い人がいいです。一緒にいて笑わせてくれる人とか、おしゃべりが上手な人とか。ほら、私が結構お喋りなので、それに負けない人が有難いですね」
「歳はどれぐらいの人がいい?」
「あんまり考えたことありませんけど……十歳差ぐらいまでが許容範囲ですかね。あんまり歳上とか歳下だと、自分が先に死ぬか向こうが先に死ぬかじゃないですか。それに価値観も違いますし、出来たら同じぐらいの方が────」
杉野の年は知らないが、大体二十代後半から三十代前半ぐらいだろう。彼女は十歳差と考えているようだが、もし仮に四十以上の男に告白されたらどうするのだろうか。それはさすがに断るに違いない。
ということは綾芽もそれぐらいの感覚を持っていたら当然十五も歳上の男なんて断るに決まっている。
「青葉さん、そういう質問他の女性にもしてるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないですが────」
「その聞き方は、女性が勘違いしてしまいますよ。私は気にしないから構いませんけど、同じようなことをしていると自分に気があると思ってしまいます」
「……すみません」
「まぁ、青葉さんは真面目ですからそんなつもりはないと思いますけどね」
杉野は笑って場の空気をうまく誤魔化した。
俊介は自分を心の中で叱責した。女性の知り合い────相談できる人間が少ないだけに、つい尋ねてしまう。他人に聞いたところで、綾芽の心中がわかるはずもないのに。
杉野は楽しいが、女性として守ってやりたいとかそばにいたいとは感じない。仕事仲間として長くやって来たからだろうか。変な気も起こらなかった。
「でも、そういうこと聞くってことは青葉さんにも意中の人がいるってことですよね?」
「さぁ、それはどうでしょう」
「そんな人がいなきゃ聞きませんよ。青葉さんの好きな人かぁ、きっと綺麗でしっかりしてて、バリキャリみたいな方なんでしょうね」
杉野の予想は概ね合っている。綾芽は綺麗な女性だし、金銭感覚といい二十一歳とは思えないほど達観しているところがある。バリキャリとは少し違うかもしれないが、仕事熱心だ。
「告白はまだなんですか?」
杉野はテーブルに身を乗り出してワクワクしたような顔をしていた。
「……まだです」
「青葉さんなら絶対うまくいきますよ! どうして告白しないんですか?」
「絶対、なんて確信があるなら俺も告白してます」
「うーん、相手の方はなかなか攻略が難しいんですね。でも、青葉さんならきっと大丈夫ですよ。だって、その人のこと真剣に考えてるんですから、きっと伝わると思います」
「恋愛は難しい。俺には向いてないかもしれない」
「やけに弱気なんですね。青葉さんが難しいなんて言ったら、うちの男社員は激怒しますよ。恋愛より青葉さんがとってくる仕事の方が倍率が高いんですから」
「仕事なら相手先が別の会社を選んでも仕方ないで済むんですけどね」
「それだけ本気ってことですよ」
杉野に言われて、改めて自覚した。やはり、自分は綾芽のことが本気で好きなのだ。いっ時の気の迷いではない。これだけ気持ちをかき乱すのは綾芽しかいない。
本当はわかっていたが、あの青年のことが気になって自信をなくしていた。自分は綾芽と二人で出掛けたし、毎週一緒に食事しているのだ。綾芽も満更ではない────はずだ。
それだけ好条件が揃っていても不安なのは、自分と他人が違うからだ。どの条件の男にしろ、綾芽が気に入ればその男が「勝ち」だ。
綾芽相手ではステータスなどなんの役にも立たない。彼女に心を開かせた人間が勝者だ。
コンビニに寄ってから帰ろうか。一瞬そう思ったが、二人が一緒にいるところを見たらまた発狂してしまいそうで止めた。
そのままロビーを通り過ぎようとしたときだった。
「青葉さん!」
後ろから声を掛けられて振り返った。俊介は一瞬首を傾げたが、すぐに受付嬢の杉野だと分かった。
杉野はいつもの藤色の制服ではなく、私服を着ていた。私服とは言っても、綺麗目なジャケットにレースをあしらったフレアスカートを履いていた。いわゆるコンサバファッションというやつだ。
「杉野さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。青葉さんもこれからお帰りですか?」
「はい、そうです」
「もしよかったら、これから一緒にご飯でもいかがですか?」
杉野とは仕事上、よく喋る。受付嬢をしているため取り次ぎの電話で話すこともあるし、訪問者が多いためそれらを管理する受付嬢と社長秘書である俊介が話すのは当然だった。
二人で食事に出掛けたことは一度もないが、会社の集まりでなら何回かある。杉野に誘われても、特別奇妙には思わなかった。
「もし用事があったなら気になさらないでください。ひとりで食べても面白くないので気軽に話せる人とご飯に行きたかっただけですから」
杉野は気にしないで、と手を振った。
俊介は少しだけ考えた。今は他の女性と食事に行く気にはならないが、綾芽に対する気持ちが本物がどうか確かめることができるかもしれない。杉野は今まで自分に好意があるようなそぶりは見せなかったし、さらっとしたタイプだ。特に警戒する必要はないと判断した。
「じゃあ、是非」
「よかった、断られたら家で晩酌するところでした」
面白おかしく言って杉野はニコッと笑った。
杉野が連れて行ったのは創作料理を出す少し賑やかな店だった。こぢんまりしていて、あまり高そうな店ではない。だが、店内は女性客で一杯であった。
なぜ杉野は自分を連れて来たのか、俊介は疑問に思った。それこそ他の同僚を誘えばいい。
「こういうところは女性同士で来た方が楽しいんじゃないですか?」
「違うんです。実はここ、期間限定で恋人同士で来ると食後にスペシャルデザートが付いてくるんです。すみません、青葉さん今日は恋人役になってもらえませんか?」
「いや、それは────」
「役って言ってもお店の人には分かりませんから。普通にお喋りするだけですよ」
なんだ、と安心した。いくらなんでも好意を持っていない人間の恋人役なんて出来ない。恐らく真面目な自分には一番向かない役だろう。
「この店のデザートは有名なんです。どうしてもちょっとも食べたくて……利用したみたいでごめんなさい」
杉野は照れたように笑った。それを見ると、なんだか仕方ないな、と思えた。
杉野は受付嬢という会社でもかなりの綺麗どころポジションだが、高嶺の花に見えて実際は面白い女性だ。受付嬢をしているだけあってコミュニケーション能力は抜群で、その辺りは自分よりも上なのではないだろうか。それもあって一緒に食事しても変な雰囲気にはならないだろうと思った。
「青葉さんもしかして彼女いましたか? だとしたらごめんなさい」
「……いや、いないから気にしないでください」
「そうなんですか? 勝手にいるんだとばかり思ってました。 本堂常務が結婚した時、会社の女の子達はずいぶん泣きましたけど、青葉さんに彼女がいたら全員仕事欠勤するんじゃないでしょうか。ほら、芸能人のなんとかさんが結婚した時みたいに」
「それはないですよ」
杉野はおかしそうにクスクスと笑った。青葉もつられて笑った。だが、すぐに気持ちは薄暗い方へ向いた。自分がもし他の女性と付き合ったら、綾芽はどうするだろうか。きっとどうもしないだろう。興味もない────だろうか。
「女性は────どういう男性が好きなんですか?」
「それは……人によりますし、ちょっと私には分からないです」
杉野は困ったように答えた。それもそうだ。聞き方が曖昧すぎた。
「うーん、青葉さんのことが好きそうな女性はたくさんいますから、真面目で、落ち着いた人────ですかね」
「杉野さんはどうなんですか?」
「私ですか? そうですね、面白い人がいいです。一緒にいて笑わせてくれる人とか、おしゃべりが上手な人とか。ほら、私が結構お喋りなので、それに負けない人が有難いですね」
「歳はどれぐらいの人がいい?」
「あんまり考えたことありませんけど……十歳差ぐらいまでが許容範囲ですかね。あんまり歳上とか歳下だと、自分が先に死ぬか向こうが先に死ぬかじゃないですか。それに価値観も違いますし、出来たら同じぐらいの方が────」
杉野の年は知らないが、大体二十代後半から三十代前半ぐらいだろう。彼女は十歳差と考えているようだが、もし仮に四十以上の男に告白されたらどうするのだろうか。それはさすがに断るに違いない。
ということは綾芽もそれぐらいの感覚を持っていたら当然十五も歳上の男なんて断るに決まっている。
「青葉さん、そういう質問他の女性にもしてるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないですが────」
「その聞き方は、女性が勘違いしてしまいますよ。私は気にしないから構いませんけど、同じようなことをしていると自分に気があると思ってしまいます」
「……すみません」
「まぁ、青葉さんは真面目ですからそんなつもりはないと思いますけどね」
杉野は笑って場の空気をうまく誤魔化した。
俊介は自分を心の中で叱責した。女性の知り合い────相談できる人間が少ないだけに、つい尋ねてしまう。他人に聞いたところで、綾芽の心中がわかるはずもないのに。
杉野は楽しいが、女性として守ってやりたいとかそばにいたいとは感じない。仕事仲間として長くやって来たからだろうか。変な気も起こらなかった。
「でも、そういうこと聞くってことは青葉さんにも意中の人がいるってことですよね?」
「さぁ、それはどうでしょう」
「そんな人がいなきゃ聞きませんよ。青葉さんの好きな人かぁ、きっと綺麗でしっかりしてて、バリキャリみたいな方なんでしょうね」
杉野の予想は概ね合っている。綾芽は綺麗な女性だし、金銭感覚といい二十一歳とは思えないほど達観しているところがある。バリキャリとは少し違うかもしれないが、仕事熱心だ。
「告白はまだなんですか?」
杉野はテーブルに身を乗り出してワクワクしたような顔をしていた。
「……まだです」
「青葉さんなら絶対うまくいきますよ! どうして告白しないんですか?」
「絶対、なんて確信があるなら俺も告白してます」
「うーん、相手の方はなかなか攻略が難しいんですね。でも、青葉さんならきっと大丈夫ですよ。だって、その人のこと真剣に考えてるんですから、きっと伝わると思います」
「恋愛は難しい。俺には向いてないかもしれない」
「やけに弱気なんですね。青葉さんが難しいなんて言ったら、うちの男社員は激怒しますよ。恋愛より青葉さんがとってくる仕事の方が倍率が高いんですから」
「仕事なら相手先が別の会社を選んでも仕方ないで済むんですけどね」
「それだけ本気ってことですよ」
杉野に言われて、改めて自覚した。やはり、自分は綾芽のことが本気で好きなのだ。いっ時の気の迷いではない。これだけ気持ちをかき乱すのは綾芽しかいない。
本当はわかっていたが、あの青年のことが気になって自信をなくしていた。自分は綾芽と二人で出掛けたし、毎週一緒に食事しているのだ。綾芽も満更ではない────はずだ。
それだけ好条件が揃っていても不安なのは、自分と他人が違うからだ。どの条件の男にしろ、綾芽が気に入ればその男が「勝ち」だ。
綾芽相手ではステータスなどなんの役にも立たない。彼女に心を開かせた人間が勝者だ。