とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 青葉と約束したのは木曜の夜だった。その曜日はいつも公園でランチするが、生憎青葉は日中出掛けているらしく、ランチは一緒にとれなかった。

 バイトを終えて、綾芽は青葉が来るのを待った。

 だが、不意にスマホが震えて、慌てて確認する。メッセージが一件入っていた。青葉からだ。内容は会議が長引いてるから先に店に行ってくれないか、というものだった。

 もう出先からは帰っているのだろう。メッセージには店のサイトのURLが貼り付けられていて場所はすぐに分かった。

 会議がどれだけ長引くかも分からないし、予約していたら行かなければならないだろう。

 綾芽は店に向かうことにした。

 だが、歩きながらふと考えた。青葉が一緒に行かないのは、あの受付嬢の女性に一緒にいるところを見られたくないからではないだるろうか、と。

 だから会議なんて言い訳を使ったのか。いや、そんなはずはない。青葉はそれほど狡い男ではない。

 マイナス思考になってはだめだ。これからせっかく食事するのに、こんなことばかり考えていたのではまた青葉をガッカリさせてしまう。



店は思っていたよりも賑やかだった。かしこまった雰囲気に見えないのは若者の客が多いからだろうか。程よい喧騒と音楽。オープンキッチンになっており、調理している様子が客席から見える。

 綾芽はその方がありがたかったが、青葉がこういう店を選んだことが意外だった。いつも行くのは大人ばかりの店だが、この店は大学生らしい雰囲気の人間もチラホラ見える。

 綾芽は青葉の名前を伝えた。席に案内されて、しばらくそこで待った。

 三十分ほど経った頃だろうか、青葉がようやく姿を現した。走ってきたのか、随分慌てた様子だ。彼はすぐ遅刻したことを詫びた。

「すまない。もう少し余裕を見て予約しておくべきだった」

「いえ、気にしないでください。そんなに待っていませんから」

「まだ何も注文していないだろう? 悪かった」

 青葉は手をあげて店員を呼んだ。綾芽はすでにファーストドリンクを決めていたからすぐに伝えた。青葉は珍しく酒を頼んだ。度数が強いものではなさそうだったが、あまり飲まないと言っていた青葉が酒を頼んだことは意外だった。

「青葉さん、今日はお酒飲むんですか?」

「今日は飲みたい気分なんだ」

 そう言った青葉の表情は、どこか暗かった。仕事で何かあったのだろうか。それとも、受付嬢の彼女と何かあったのか。

 料理を注文して、それからは取り留めもないことを話した。青葉の仕事は好調らしい。特に問題が起きて困っているようではなかった。となると、やはり彼女が原因なのだろうか。

 今がチャンスかもしれない────。綾芽は意を決して尋ねてみることにした。

「青葉さんは────あの受付嬢の女性と仲がいいんですか」

 青葉は何杯目かの酒を飲んでいた。すっと視線をあげて、綾芽を見つめた。

「……この間、一緒に帰ってるところを見かけたので」

「────じゃあ、立花さんとあのバイトの彼はどうなんだ」

「えっ」

 突然そんな質問をされたものだから、綾芽は思わず大袈裟な声をあげてしまった。

 青葉はまるで睨みつけるように綾芽を見つめた。

「どうって……だから彼はバイトの仲間で……」

「じゃあ、なんでこの間一緒に帰ってたんだ?」

「この間って……」

「ワンピースを着てた日だ」

 そう言われて、綾芽ははっきりと思い出した。合コンの日のことだ。まさか、青葉は近くにいたのだろうか。

「デートに行くみたいな格好だった」

「それは────別に萩原君とデートしてたわけじゃありません。誘われて、ちょっと……」

「それにしては随分綺麗な格好してたから、てっきり俺は────いや、俺には関係ないな」

 青葉はふるふると首を振った。

 関係ない、そう言われて綾芽はショックを受けた。それはちっともヤキモチを妬いていないということになる。つまり、脈がないということだ。なのに、青葉の言い方は妙に刺々しい。気になったから聞いたのか、ただ目についただけなのか。

「俺と杉野さんはただの仕事の仲間だ。食事は行ったが、別にそういう関係じゃない」

「私と萩原君だってそうです」

 綾芽はムキになって答えた。また青葉の瞳が鋭くなる。

「立花さんは……十五歳も歳が離れてたら、男として見れないか」

「え……」

「いや、いい……忘れてくれ」

 青葉はぼんやりした瞳でまたグラスを空けた。

 ────どうしてそんなことを聞くの……?

 綾芽の脳裏にほんの少しの期待が芽を出し始める。怒っている態度も、その問いかけも、青葉の気持ちを現しているように見えた。

 青葉はいったい何を考えているのだろう。その口で説明しくれたらいいのだが、青葉はそれきりそのことは口にしなかった。



 やがて店から出て、綾芽はなんだかぼうっとしたままの青葉と街中を歩いた。

 ふと、青葉がよろけて慌てて体を支える。

「青葉さん……大丈夫ですか。飲みすぎたんじゃありませんか」

「────悪い。少し座る」

 青葉は近くにあったベンチに腰を下ろした。気分が悪いのか、項垂れたまま起き上がろうとしない。綾芽は少し待っていてくださいと言って周囲をうろうろした。コンビニがあれば飲み過ぎ用の薬も置いているかもしれない。

 ようやくコンビニを見つけて、薬と水を買った。元の場所に戻ると、青葉は変わらない体勢のままそこにいた。

「青葉さん、薬を買ってきました。これを飲んで────」

「あの時と同じだな」

 青葉は顔を上げ、切なそうに微笑んだ。

「あの時……?」

「君は覚えてないだろうけど……俺にとっては、大事な思い出なんだ……だから俺は、あの時君を────」

 青葉は再び項垂れた。

 綾芽は薬の瓶を持ったまま、どうすればいいか分からず戸惑った。

 青葉も、まだ覚えているのだろうか。随分前のことのように思えるが、比較的新しい記憶だ。青葉と出会った始めの頃の記憶。

 あの時も確かに同じようなシチュエーションだった。違っているのは、青葉への想いを自覚したことぐらいだろうか。

 綾芽の胸がドクンと音を立てる。期待してもいいのだろうか。青葉が自分のことを好きでいると────。
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