とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 後日俊介に予定を伝え、綾芽は久しぶりに聖と会うことになった。そこには本堂常務────聖の夫も来るらしい。

 以前勤めていた会社の社長と常務に会うなんてなんだか妙な気もするが、二人にはお世話になったし、なにより俊介の上司だ。きちんとお礼を伝えたかった。

 俊介から普通の格好でいいよと言われたので、綾芽はいつも通りの格好をした。店までは俊介の車で行くことになった。

 だが、綾芽は少し不安だった。

 なにしろ、聖と本堂は藤宮コーポレーションの最高責任者なのだ。普通の中小企業の社長ではない。

 そう言われれば俊介もだが、普段スーツをビシッと着こなしてバリバリ仕事をする三人に挟まれて、普通でいいと言われても本当にそれが正解か分からなかった。

 連れて行かれたのは街中にあるこ綺麗なビル────ではなく、裏通りの狭い道の中にある店だった。

 店先には焼肉と書かれた暖簾がかかっているから焼肉屋なのだろう。僅かに炭の香りが漂ってきた。

 引き戸の扉を開けると、すでに来ていた聖がこっち! と、手を振った。

「綾芽ちゃん、久しぶりね」

「お、お久しぶりです」

 綾芽は聖に向かってぺこりと頭を下げた。その隣に座っている本堂に気づき、再び頭を下げた。本堂も軽く会釈をした。

 綾芽は俊介の横に腰掛けた。テーブル席はそれほど広くない。店自体が少し小さめで、他の席も似たような感じだった。

「お腹減ってるでしょ? ここはね、その道三十年のご主人がこだわった炭を使って────」

「聖、ウンチクはいいからとにかくドリンク頼むぞ」

 本堂が口を挟んで、聖のおしゃべりは一旦止まった。戸惑っている綾芽に、俊介が耳打ちした。

「気にするな。二人ともかしこまるような性格じゃない」

 そういわれたものの、綾芽は気まずかった。両手は膝の上に置いて姿勢は面接の時のようにしゃん、とした。

 まさか焼肉屋に来るとは思わなかった。だが、俊介から散々聖はB級グルメが好きだと聞かされているから、そこまでは驚かなかった。

 聖と本堂、俊介は仕事帰りなのかスーツ姿だ。自分だけがラフな格好をしていて、なんだか浮いていた。

 ドリンクが運ばれてきたところで、聖はニコニコしながらグラスを掲げた。

「二人とも、おめでとう。それと綾芽ちゃん仕事先決まったのよね。嬉しいことが続いてなによりよ」

「あの……その節は、お二人にはご迷惑をお掛けしました」

「大丈夫大丈夫。それぐらいまだ可愛いものだから。ね、はじめさん」

 聖が同意を求めると、本堂は顔をしかめた。

「それにしても、やっと俊介に彼女が出来て一安心よ。このまま一生私の執事でいるんじゃないかって心配してたから」

 綾芽は首を傾げた。俊介は恋人がいなかったのだろうか。聖の言い方だと、随分長いこといなかったように聞こえる。

 だが、俊介のような人間に彼女がいないというのはおかしな話だ。

「聖、あんまり言うなよ」

「綾芽ちゃんが心配しないように安心要素を伝えておこうと思っただけ。綾芽ちゃん、知っての通り俊介は真面目だから浮気するような性格じゃないし、仕事が恋人みたいな男だから安心してね」

「は、はい……」

「ひーじーり。頼むから余計なこと言わないでくれ」

「俊介が暴走するからよ。この間だって、考えすぎてあんなことになったんじゃない。はじめさんまで借り出して」

 聖がじろりと睨むと、俊介はぐっと言葉を詰まらせた。その様子を見ていると、綾芽はなんだかおかしくなった。

「みなさん、仲がいいんですね」

「俊介は小さい頃からの付き合いだし、はじめさんはこの通り全然かしこまった性格じゃないから。話しやすいのよ。綾芽ちゃんもそんなに気を使わなくてもいいから」

「……すみません、その、立場が立場なだけになかなか親しみが湧かなくて……もっと怖い感じだと思ってました」

「肩書きが偉いだけよ。それに私や俊介はともかく、はじめさんは一般家庭出身だから。ね、はじめさん」

「ま、俺の家はこいつらと違って普通だからな。それなりに貧乏も味わったし、金は後からついて来たもんだ」

「そういう意味でははじめさんが一番綾芽ちゃんのこと理解できそうよね。借金もしてたし」

 聖がそう言うと、俊介はムッと顔をしかめた。

「別に本堂じゃなくても理解出来るだろ」

「ものの例えよ」

 本当に彼らは仲がいいらしい。綾芽は見ていてなんだか羨ましくなった。彼らの話は俊介から何度か聞いていたが、二人ともかなり上のポジションに就いているのに親近感が湧く話が多かった。今も気さくに話していて、特に聖は社長には見えなかった。

 改めて思うと彼らは本当に雲の上の人間たちだ。俊介と関わらなければ、こうして食事することも話すこともなかっただろう。

 だが、そう自覚するとやはり俊介と自分との差を思い知ってしまう。俊介の家は代々藤宮家の執事をしていると聞いているが、もしそうならそれ相応の女性を選ぶのではないだろうか。そう思うとなんだか不安になった。

「どうしたの?」

 自然と黙り込んでしまった綾芽に、聖が尋ねた。

「あ、いえ……その、俊介さんが私と付き合うことで、何か不都合なことがないのかなと」

「不都合?」

 そう聞き返したのは俊介だ。

「家柄のことはよく知らないんですけど……私みたいな人間と付き合ったら、反対されるんじゃないかなって」

「そんなことはない。聖みたいなお嬢様ならともかく、俺はただ家がそうなだけで別にしきたりがどうとかそんなのはないんだ。綾芽さんは心配しなくていいよ」

「そうですか……」

 その答えを聞いて幾分か安心した。金持ちの家のことなんて分からないが、執事なんてしているぐらいだから厳しい家に思えたのだ。

「大丈夫。もし反対されても私が口添えすれば一発だから」

「聖は何もしなくていい。俺と綾芽さんの問題だ。そうなっても俺が説得する」

 聖と本堂はニヤニヤしながらふーん? と顔を見合わせた。

「お幸せに」

「お前らは祝いに来たのかからかいに来たのかどっちなんだ」

「どっちもよ」
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