とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 明日も仕事があるからと、四人はわりと早い時間に解散した。

 綾芽は車に揺られながら、今日話したことを俊介と振り返った。

 二人との時間は楽しいものだった。歳は上だが、あまり次元の離れた会話はしない。まるで友人と話しているときのように穏やかになれた。

「悪いな。色々言われて疲れただろ」

「いえ、楽しかったです。本当、いい意味で二人とも社長と常務とは思えないですね」

「まぁ、あの席だったからな。二人とも仕事の時はちゃんとシャキッとしてる」

 確かに、創立記念パーティの時の二人はきちんと役目を果たしていた。仕事中はああいう感じなのだろう。そして俊介も、きっと今と違うのかもしれない。

「綾芽さん」

「はい?」

「俺と一緒にいて……不安か?」

 俊介は前方を見ていたが、表情は少し固かった。先ほど食事の最中に綾芽が言ったことが気になったのかもしれない。

「……そうじゃないんです。ただ、今も信じられなくて。俊介さんは雲の上のような人ですから……」

「俺は綾芽さんが思うほど特別な人間じゃないよ。秘書になったのは聖の父親に抜擢されたからで、別に自分で勝ち取った地位じゃない。家も金持ちじゃない。普通の人間だろ?」

「そうかもしれませんけど……」

「俺からすれば、綾芽さんの方がよっぽど特別だよ」

「私が?」

「借金を背負って一人で頑張ってるんだ。俺だったら落ち込んで自滅してたかもしれない。すごいことだよ」

「そんなんじゃ……私はただ、父に腹を立てていただけで……別にすごくなんかありませんよ」

「本堂もそうだけど、逆境に強い人間っていうのは上に行く力を持ってる。それは努力しても手に入るようなものじゃない。その人自身が持ってるものなんだ。だから綾芽さんは特別だよ」

 本当にそうなのだろうか。俊介に言われると、本当にかもしれないと思えてくる。そんなはずはないのだが、人の言葉は不思議だ。

 そんなことを話しているうちに家に着いてしまった。アパートの周辺はほとんど真っ暗で、アパートの廊下にある蛍光灯のおかげで辛うじてその存在がわかる程度だ。

 綾芽が車を降りて運転席の方に周ると、俊介は車の窓を開けた。

「今日はありがとう」

「こちらこそありがとうございます。お二人にも宜しく伝えておいてください」

「綾芽さんは明日も仕事?」

「はい」

「その……普段は仕事で忙しいしなかなか休みが一緒に取れないから、もしアレだったら、家に泊まりに来るか?」

「えっ」

「いや、そうしたら長い間一緒にいられるし、俺も出勤のついでに車で仕事場まで送っていくことも出来るから……まぁ、もし来たかったらでいい。自分の家の方が落ち着くならそれはそれで────」

  家に遊びに来い、ということだろうか。予期せぬ誘いに綾芽は胸がドキドキした。

 俊介の家は一度だけ行ったが、まるでモデルルームのように綺麗で整っていた。ベッドメイキングは完璧だったし、整理整頓も行き届いていてさすが執事! と褒めたいぐらいの家だ。

 自分の家に比べると確かに落ち着かなさはあるが、それは俊介と一緒にいるからだろう。前回は俊介が酔っていると思っていたし正直落ち着くとか寛ぐどころの話ではなかった。

 だが、またあんなふうになったらどうしようと思う自分もいれば、一緒にいたいと思う自分もいる。

「お邪魔じゃなければ……じゃあ、また今度遊びに行ってもいいですか?」

「いつでも来たらいいよ。そのほうが綾芽さんも無理せずに済むだろうから俺も安心だ」

 じゃあ、おやすみなさい────。綾芽は少し顔を残しながら車の窓に見える俊介を見送った。綾芽が玄関の扉を閉じて少しして、俊介の車のエンジン音が聞こえた。

 ────俊介さん、別にそういう気じゃないよね……?

 前回は図らずしてああいう結果になってしまったが、いくらなんでも同じようなことにはならないだろう。

 だが、今回自分たちは恋人同士なわけだから、ああいう展開があっても特に不思議ではない。まさか俊介はそれを期待しているのだろうか。

「────まさかね。俊介さんも、厚意で言ってくれてるだけだと思うし」

 今日だって手を握るチャンスはいくらでもあったのに何もしてこなかったのだ。そんな俊介がいきなりそういうことをするだろうか。前回は酒を飲んでいたから、たまたまだ。

 だが、もし本当にそういう展開になったら自分はどうするつもりなのだろうか。

 考えていると顔が熱くなってきて、さっさと風呂に入って眠ることにした。
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