とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 綾芽の帰りは遅かったが、俊介が色々準備をしてくれていたおかげで特に困るようなことはなかった。

 大きなバスタブに浸かりながら、綾芽はこの後の展開を考えた。

 もう時間も時間だから今更どこかにいくこともないし、寝るぐらいしかすることはないが、やはり一緒に寝るのだろうか。ベッドは一つしかないわけだからそうなるが、この間のような展開にならないだろうか。嫌なわけではないが、思考に余裕があるとどうもそういうことばかり考えてしまう。

 考えても寝る時間はやってくるのだと、綾芽はさっさと風呂から上がることにした。

 俊介はソファに座ってノートパソコンをいじっていた。仕事をしていたのだろうか。俊介は綾芽に気がつくと、パタンと画面を閉じた。

「お風呂、ありがとうございました」

「ああ、じゃあ俺も入ってくるよ」

 俊介がバスルームに向かったのを見届けて、綾芽は隣の部屋の扉をそっと開けた。ビシッと整えられたベッドはシワひとつない。まるでホテルみたいだ。

 綾芽はベッドの上にコロンと横になった。シワがひとつも見えないベッドの上にこんな風に寝転がるなんてなんだかいけないことのような気がするが、どうせ寝るのだから一緒だ。

 柔軟剤の香りだろうか。なんの香りかは分からないが、どことなく俊介の香りがするような気がして心地いい。ベッドはふかふかで、家の布団と比べると雲泥の差だ。

 綾芽の布団は某家具量販店で買った安いもので、柔らかさやボリュームを感じていたのは最初の頃だけだった。何回か洗濯すると瞬く間にペラペラになってしまって、寝る時腰が痛くなったことを思い出す。

────俊介さんと結婚する人は大変だなぁ。こんなに綺麗に布団を洗わないといけないなんて。

 どことなく他人事のように考えながら目を瞑ると、自然と眠気に襲われた。この布団のせいかもしれない。体は疲れていないが、心地良くて動けなくなった。

「────綾芽さん?」

 不意に呼ばれて、綾芽はぼんやりと意識を起こした。少し視線を上げると、俊介がベッドサイドに立っていた。

「────!! すみませんっ、寝てました」

「起こして悪かった。リビングの方にいなかったからどこにいったのかと思って」

「ごめんなさい。気持ちよさそうなベッドだったのでつい……」

 そう言うと、俊介はおかしそうに笑った。

「綾芽さんが寝たいならいつでも来たらいいよ。俺はもう寝るけど、綾芽さんは?」

 綾芽はキョロキョロと辺りを見回した。アラームを掛けようとスマホを探したが、リビングに置きっぱなしにしているようだ。

「アラームなら俺がかけてるから心配いらないよ。六時でいいか?」

「あ、はい」

 俊介は寝巻きらしい寝巻きは着ていなかった。白いTシャツを着て、ゆったりしたスウェットを履いている。綾芽とそれほど変わらない格好だ。

 綾芽は一旦ベッドから起き上がってシーツを整えた。俊介が綺麗にしていたシーツは綾芽がそのまま布団の上で寝転んだせいでぐちゃぐちゃだ。だが、俊介は怒っているふうではない。几帳面というわけではないらしい。

 二人揃って布団の中に入ると、先ほどまでは寝ていたのに急に眠気が覚めてきた。いや、寝てしまったからだろうか。妙に目が冴えてなかなか寝付けそうにない。

 俊介が電気を消すと、ぼんやりと淡い暖色の光が部屋の角に灯った。この家は照明までおしゃれだ。そんなことを考えながら、綾芽はどうにか寝ようとぎゅっと目を瞑った。

「綾芽さん」

「……っはい」

「ちょっとお願いがあるんだけど、いいか?」

「なんですか」

 慌てたせいで、つい早口になってしまう。綾芽はどんどん強くなっていくは心臓の音を落ち着けようと軽く深呼吸した。

「少し、抱きしめてもいいか」

 まさかそうくるとは思わず、綾芽は一瞬言葉を失った。

 少し、とはなんだろう。遠慮しているのだろうか。やるならやるではっきりするかいきなりしてもらった方が考えず済むのに。

「ど、どうぞ」

 綾芽が返事すると、俊介はすっと手を伸ばした。綾芽は俊介の胸に顔を埋めるような形になる。

 暖かくて心地いいが、全く落ち着かない。俊介はこれで眠れるのだろうか。少し顔をあげると、俊介も眠っていなかったのか、まだ目を開けていた。

「俊介さん……寝ないんですか?」

「……寝れると思ったけど、綾芽さんがいると、全然眠れないな」

「……すみません、やっぱりお邪魔でしたか……?」

「ああ、そうじゃなくて。好きな子がいるとソワソワして落ち着かないって意味だよ」

 俊介もそう思っていたか、と安心したものの、口に出されて余計に恥ずかしくなった。

「……前に俺の部屋に来た時失敗したから、今日はちゃんとしようと思ってたんだ。無理矢理進めたみたいな形になったから、綾芽さんも嫌かもしれないと思って」

「そんなこと……」

「俺は無理にするつもりはないから、綾芽さんがそうしたいって思ったらさせて欲しい。今日は疲れてるみたいだから、また今度な」

────そんなふうに考えていたの?

 先日のことは、確かにショッキングな出来事ではあったが、今となっては幸せな思い出だ。突然で驚いたものの、嫌な気持ちにはならなかった。

 俊介は優しいから気を使っているのだろう。けれど、それで彼自身が我慢したりしないか心配だった。

「俊介さんは……無理してませんか……? 私のことは、その……気を使って頂かなくても大丈夫です。そんなに疲れてるわけじゃありませんし……」

「それは俺を誘ってるって意味か?」

「……っえ、いや……あの、違います! そういうわけじゃなくて……っ」

「俺も男だから、正直楽じゃないよ。だからその時は綾芽さんにまた無理させるかもな」

 俊介の顔がなんだか悪戯っぽく見えて、綾芽は慌てて視線を下げた。

 そんな風に予告されると余計に意識してしまう。意地悪なんだか親切なんだか分からない。

 なんだか癪になって、綾芽はくっつくように俊介に寄り添った。少しして、俊介は腕の力を強めた。

「……綾芽さん。俺を寝かす気ないだろう」

「……そんなことありませんよ」

「俺を挑発するような真似ばっかりして、どうなっても知らないからな」

 またそんなことを言われてしまった。今日は眠れるだろうか。俊介の腕は優しいのに、どこか押し付けるように閉じ込めた。

 綾芽は顔が熱くなるのを感じながら、もう少しだけ、その胸に擦り寄った。
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