とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
第24話 重積
 ────まさかこんなことになるとは思いもしなかった。

 綾芽は俊介の車に揺られながら、ぼんやりと前方を眺めた。

 最初は空き巣に入られたなどとは思わなかったのだ。ただ驚いて狼狽た。部屋の中はぐちゃぐちゃに荷物がひっくり返っていて、まるで嵐でも通ったかのような有様だった。

 何よりも感じたのは恐怖だった。いつもいる自分の部屋がとてつもなく恐ろしいものに思えた。とにかく怖くなって、アパートから一旦離れて警察を呼んだ。

 警察はすぐに来てくれたが、彼らは散々ひっくり返された部屋をさらに物色して、自分の指紋を取ったり当日の行動などをあれこれ聞いたあとさっと帰ってしまった。

 それだけ? と思わず言いそうになった。もっと親身になってくれたっていいじゃない、と。だが、警察も仕事なのだろう。それ以上はできないのかもしれない。

 とにかく恐ろしくなって荷物をまとめるだけまとめて部屋を出た。

 翌日は流石に仕事を休み、大家にこのことを報告した。鍵は取り替えてもらえることになったが、それだけではとても安心できなかった。

 家賃の安いアパートを選んだのは自分だ。このアパートにはセキュリティなんてものは全くない。玄関もこじ開ければ入れそうだし、窓だって脚立を使えば簡単に侵入できた。分かっていたとはいえ、まさか自分が空き巣に遭うとは思わなかったのだ。

「着いたよ」

 声を掛けられ、綾芽はハッと意識を起こした。気が付くと、車はもうマンションの駐車場に入っていたようだ。

「……すみません」

 綾芽は慌てて外に出た。広い駐車場には高級車が何台も停まっていた。だが、綾芽には今それを眺めるだけの余裕はなかった。あまりにもいろいろなことが起こりすぎて、頭の中で処理し切れなかった。

 部屋の玄関までたどり着くと、俊介は鍵を開けて少し待っててくれ、と言って中に入った。数分経って、中から彼が出てきた。

「待たせて悪かった。入って」

 俊介の部屋は久しぶりだ。ここ最近は忙しくて来ることができなかったが、中はそれほど変わっていなかった。

 俊介は部屋の電気を順に点けていった。綾芽はリビングにぼんやりと佇んだ。

「どうする? 風呂に入るならお湯を貯めておくが……」

「いえ……軽くシャワーを浴びたので、もう寝てもいいですか」

「分かった。荷物は好きなところに置いてくれ。俺は着替えてくるから」

 綾芽はリビングに荷物を置き、のろのろとベッドルームに向かった。ベッドは相変わらずビシッと綺麗に整えられていた。綾芽はもたもたしながら持って来ていた別の服に着替えた。

 ベッドに入ろうとすると、寝巻きに着替えた俊介がペットボトルを持って入ってきた。

「喉が乾いたら飲んでいいから。ここに置いておく」

 俊介はベッドサイドに置かれた小さなテーブルにそれを置いた。綾芽はコクリと頷いた。

 電気が消える。ぼやんとした薄明かりだけになって、目を閉じた。

 不思議だ。疲れているはずなのに、なぜだか眠れない。いつもならすんなり眠れるのにどうしてだろう。

 昨日も、ほとんど眠れていない。ネットカフェの床はクッションがあってさほど悪いものではなかった。冷房が効きすぎていて少々寒かったが、だとしても、だ。

 何度か寝返りを打つと、後ろからぎゅっと俊介が抱きしめてきた。いつでも抜け出せそうなほどゆるく回された手は、綾芽を安心させるようにぽんぽん、と手の甲を叩いた。

 温かい────。まるであやされているような気分になって、自然と落ち着いてきた。

 唐突に意識がなくなり、綾芽は夢を見た。両親の夢だ。両親を見たのは久しぶりだ。アルバムもほとんど捨ててしまったから、残っているのは記憶の中だけなのに、彼らの顔は鮮明だった。

 また、彼らは喧嘩している。理由はいつも些細なことだった。父親が癇癪を起こしたのだ。今回もきっとそうだろう。

 すぐ近くに立ちながら綾芽はぼんやりその様子を傍観していた。そこに自分がいても、両親は気が付いていないようだった。

 いや、《《そうなるように》》自分が仕向けていたのかもしれない。

 怒られないように息を殺して、父親の逆鱗に触れないように人の顔色ばかり伺って生きていた。

 ────なにやってるんだろう、私。

 ふと、目が覚めた。あれからどれくらい経ったのか、綾芽の体には軽く俊介の腕がかかったままだった。俊介は眠っているようだ。小さな寝息が聞こえてくる。

 なにかとてつもなくいけないことをしているような気がして、綾芽は俊介の手から逃れるようにベッドの端に寄った。

 また、眠れなくなった。
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