とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 浅い眠りを繰り返しながら、綾芽はまだ陽が高くならないうちに目が覚めた。枕元の時計は午前四時をすぎたところだった。

 俊介は当然眠っている。無理もない。ここに帰ってきた時はすでに二時を超えていたのだから。

 綾芽ももう少し眠ろうと思ったが、やはりすんなりとは眠れなかった。

 それからどれくらい経ってからか、不意にピピピ────と電子音が鳴った。アラームだ。恐らく俊介が仕掛けたのだろう。

 隣で眠っていた俊介が起き上がる。俊介は起きるなり綾芽の方を確認してきた。

「綾芽さん、おはよう。大丈夫か?」

 綾芽も続いて起き上がろうとした。今日はさすがに仕事に行かなければならない。

 だが、体が動かなかった。起き上がろうとしているのに、妙に体が重たい。いや、怠い────だろうか。なんだか意識もぼんやりしていて、起きた気がしない。頭も痛い。風邪でも引いたのだろうか。

「綾芽さん? どうした?」

 なんだか体が怠くて、と伝えると俊介は慌ててベッドから出てリビングの方に向かった。少しして戻ってきた彼は、手に体温計を持っていた。

「風邪かもしれない。熱、測れるか?」

 綾芽は体温計を受け取り、服の間から脇にそれを差し込んだ。しばらくすると電子音が鳴った。引き抜いたそれは、三十六度八分。やや平熱より高いが、熱があるわけではなさそうだった。疲労が祟ったのかもしれない。

「熱はない、か……でも、無理しない方がいい。今日は大事をとって休んだ方がいいんじゃないか」

「……そうします」

 店を休むのは申し訳なかったが、体がこれでは仕方ない。幸い、店の人間には空き巣の一件を伝えているから事情はある程度察してくれるだろう。

 ぼんやりした声のまま連絡すると、電話の向こうで店長が心配していた。申し訳ありませんと伝え電話を切った。綾芽は再びベッドに寝転んだ。

 綾芽がそうこうしているうちに、俊介はキッチンへ行っていたようだ。料理をしているような音が聞こえてくる。俊介は会社があるときは六時に起きるようにしているのだそうだ。これから朝食を食べて会社へ行く準備をするのだろう。

 そう思うと、ただ寝転んでいるだけの自分が情けなく思えてきた。

「綾芽さん、おじやを作ったけど食べれるか? 普通の朝ごはんもあるけど……」

「……ありがとうございます。おじやを頂きます」

 ゆっくり起き上がり、ダイニングテーブルに腰掛けた。

 ご飯茶碗に盛り付けられたおじやはシンプルだが、梅干しが乗っていて美味しそうだ。だが、正直綾芽は食欲が湧かなかった。

「無理して食べなくてもいいから、食べれそうな物があったら教えて」

 俊介は綾芽が食事に手をつけたのを確認すると、自分の食事の用意を始めた。わざわざ自分を優先して作ったのだ。それを見て、また申し訳ない気持ちになった。

 手際がいいのか、俊介はすぐにテーブルに食事を持ってきた。一枚のトーストにサラダ、焼いた卵とベーコン、コーヒー。シンプルだが、豪華な朝ごはんだ。彩りや栄養バランスも考えているのだろう。

「綾芽さんの分の材料もあるから、食べたかったら作るよ」

「いえ……」

「俺はこのまま仕事に行かなくちゃならないけど、綾芽さんは家でゆっくりしてくれたらいいから。合鍵を渡しておくから、もし外に出るときはこれで締めてくれ」

 俊介はテーブルの上に一枚のカードキーを置いた。俊介の持っているものと同じカードだ。だが、合鍵としてほとんど使っていなかったのだろう。新品のように綺麗だった。

「いえ……こんな大事なもの、受け取れません。それに私は家に帰らないと……」

「空き巣が入るような家にまた一人で戻るのか? 何かあったらどうするんだ」

「でも……」

「綾芽さんさえよければ、ずっとここにいたらいい。俺は別に家賃も要らないし、家事を要求するつもりもない。それに、ここの方が綾芽さんも職場に近くて通勤が楽になるはずだ」

 だから、一緒に暮らさないか────。俊介の言葉は、まるで夢物語のように聞こえた。有難い誘いだ。あの家に帰るのは確かに気が進まない。いつ誰が入ってくるかも分からない。さすがに同じ家に二度も空き巣に入らないと思うが、だとしても気味が悪かった。

 けれど、俊介の厚意に甘えていいのだろうか。このマンションだって、俊介が働いて買ったものだ。食事だって俊介が作ったものだ。

 ────私がいても、俊介さんに負担をかけるだけじゃない……。

「────ごめんなさい。それはちょっと……」

「……いや、いいんだ。俺が勝手に言ってるだけだから。付き合ったばかりだし、時期尚早だとは思う」

「嫌とか、そういうのじゃないんです。ただ、これ以上ご迷惑をかけるのが嫌なだけで……」

「俺はそんなふうに思ってないよ。むしろ綾芽さんがいた方が楽しいんだ。一人で食事作っても味気ないだけだし、綾芽さんがいてくれた方がやる気も出るからな」

 俊介は屈託なく笑った。本当にそう思っているのだろう。だが、綾芽の頭の中のモヤモヤは消えないままだった。

 この家は落ち着くし、心地いい。俊介は優しくしてくれる。けれど、それに甘えてばかりでいいのだろうか。

 働かなければ借金を返すことができない。いつまでも俊介に甘えっぱなしではいけないのだ。
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