交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
「失礼しまぁす」

 無人の部屋で、また無駄な挨拶をしてから、私は自分用に使わせてもらっているゲストルームへと向かった。
チェスト
 だが、そこもけっこうな広さがあるし、大きなベッドをはじめ、置かれているライティングデスクや椅子もひと目で高級品とわかるものばかりだ。さらに週に二日清掃サービスが入るので、きれいにベッドメイキングされていて、飴色のフローリングにも埃ひとつなかった。

 艶やかな大理石の床が広がるリビングにいるよりはましだけれど……やはり落ち着かない。

「あ、そうだ!」

 私は隣の洗面所で手を洗うと、そこに置いてあるステンレスのじょうろに水をくんだ。

 専用のバスルームとトイレがあるゲストルームなんて、初めて見た。
 まるでホテルみたいだが、実は私が担当するお客様にもかなりの額を気軽に運用される方が多いから、世の中にこういう世界があることはわかっている。

 でも、だからといってこんな家で緊張せずに生活できるわけがない。私自身にはまったく縁のない場所なのだから。

 私はじょうろを持ってリビングに戻り、窓際に置いてある黒いサイドテーブルに歩み寄った。

 少し変わったデザインで、丸い天板の中央がくり抜かれ、そこに小さな植木鉢が飾られている。あまり家具がない室内でとても目立っているが、その鉢に水やりするのも長瀬さんとの契約条件のひとつだった。

 ――実は多肉植物に目がなくて……すぐニューヨークに戻るのに、うっかり買ってしまったんですよ。だから俺が帰国するまで、こいつの世話をお願いできませんか?

 私は土に触って乾いていることを確かめ、植物にかからないようにそっと水やりをした。
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