交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
 私は上げかけた視線を、また足元に落とす。

「それは――」

 長瀬さんの言葉が胸に刺さって、言葉が見つからなかった。

 さっき心を占めていたのは、彼のお父様が経営する長瀬リアルエステートのことだ。そのせいで呼びかけられても気づかなかったのだ。

 私にとって特別で、本当は今でもあきらめきれずにいる会社――もし結婚式の日に別の社名を言われていたら、たとえ花婿が消えたとしても、こんなおかしな契約結婚をすることもなかったし、私が今ここにいることもなかっただろう。

(いったい何やってるんだろう、私?)

 そのまま答えられずにいると、長瀬さんから「どうぞ座ってください」と促された。

「は、はい」
「もしかして圭介のことを……考えていたんですか?」
「えっ、圭介さん? あ、いえ、そういうわけでは」

 ソファの正面に置かれた椅子に腰をおろしたものの、私の視線は不自然に泳いでしまう。
 長瀬さんとの結婚もそうだったけれど、今もまた想定外の事態に陥って、どう対処すればいいかわからなかった。

 だが、そんな私を長瀬さんは優しく気遣ってくれた。

「気になって当然です。あんなことがあったんだから」
「……長瀬さん」

 その声も、視線も、私を包み込むようにあたたかい。不審者扱いされて殴られたというのに、しかも帰国したばかりで疲れきっているはずなのに、だいたい私が帰宅した時点で十時を過ぎていたはずだから、今はもうかなり遅い時刻で――。

(あっ!)

 唐突に、私は衝撃的な事実に気がついた。

 深夜に、閉ざされた空間で、若い男性と二人きりで過ごしている――まるで恋人か夫婦のように。
 いや、確かに私たちは式を挙げはしたけれど……本当は知り合いでさえない他人同士なのだ。
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