交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
 私は座ったばかりの椅子から、勢いよく立ち上がった。

「みずほさん?」
「あ、あの、長瀬さん。私、家に帰ります!」
「えっ?」

 長瀬さんは驚いた様子で、「もう夜中ですよ」と自分も腰を上げた。

(夜中だからこそ帰るんじゃないの!)

 なんとか平静を装いながらも、内心はほとんどパニック状態だった。なにしろこんなシチュエーションは圭介さんとさえ経験していないのだから。

 私たちは結婚を前提に紹介されたし、交際期間もそれほど長くなかったから、あまり恋人らしいことをしていなかった。実はキスさえまだだし、当然その先も未経験だったのだ。

「でも長瀬さんが無事にお帰りになったわけですから、もう私がここにいる必要はありませんよね。きっと長旅でお疲れでしょうし、どうぞおひとりでゆっくりなさってください。すぐ失礼しますから」

 慌てているせいで、やたら口数が多くなってしまう。
 今までの印象から、長瀬さんが不埒なことをするとは思えないけれど、このまま同じ屋根の下で一夜を過ごすなんて考えられなかった。

「しかしこんな時間に」
「大丈夫です。タクシーを呼びますから」

 私は無理やり笑顔を作り、「お疲れさまでした」と頭を下げた。
 なんだかずっとバタバタしていたけれど、これで彼ともお別れだ。

「では長瀬さん、契約は終了させていただきます」

 そのままさりげなく横を通り過ぎようとした時、スリッパの先がテーブルの脚に引っかかってしまった。

「あっ!」

 バランスが崩れて、身体が前のめりに傾く。

「危ない!」

 次の瞬間、私は長瀬さんの腕の中に倒れ込んでいた。
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