交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
(うそ!)

 彼のトワレだろうか? 抱き止められ、ほのかなウッディ系の香りに包まれて、心拍数が一気に速まった。

 ありえないほど近い距離。
 細身に見えるのに長瀬さんの胸板は意外に厚くて、そんな事実に気づいたことさえ恥ずかしい。

 このまま顔を上げれば、互いの唇が触れ合ってもおかしくなかった。そういう展開は映画やドラマではありがちだし、たいていキスだけで終わらない。

(やだ! どうしよう?)

 間違ってもそんなことにならないよう、私は俯き加減の姿勢で、彼から離れようとした。

「な、長瀬さん、すみません。ありがとうございます。もう……大丈夫ですから」

 ところが長瀬さんは腕の輪を解こうとしなかった。

「……長瀬さん?」

 呼びかけても返事はなく、さらにほんのわずかだが腕に力がこもった気がした。決して強引ではないけれど、明らかな意思を感じさせる程度に。

「あ、あの、長瀬さん?」
「手を離したら、みずほさんは帰ってしまうんですよね?」
「それ……どういう意味ですか?」

 こういう場合、沈黙は危険だ。経験はないけれど、ドラマなんかだと絶対に……。
 黙っていれば一番避けたい方向へ向かってしまいそうで、私は必死に言葉を探した。

「えっと、も、もちろん帰りますよ。さっきも言いましたけど、もう遅いし、長瀬さんが帰宅なさった時点で私たちの契約は終わったわけですから」
「それでは」

 ふいに長瀬さんが私から手を離した。
 だが身体が自由になったと思ったら、今度は顎先に手をかけられ、そっと持ち上げられてしまった。

「みずほさん、どうか契約の延長をお願いします」
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