交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
不意打ちのキス
「石橋を叩いて結局は渡らないって……ずいぶんおもしろいこと言われたんだね、安達さん」

 その人があまりおかしそうに笑うので、私は少しだけムッとした。

 肩まであるボサボサの黒髪、太い黒縁メガネ、背が高くてスタイルはいいはずなのに残念な猫背。
 着ているものは洗いざらしのチェックのシャツとストレートのデニム――いつものように今日の彼も、おしゃれと縁遠い大学生みたいな格好をしている。
 もちろん首には、ちゃんと「佐藤健一」と印刷されたセキュリティカードをかけているけれど。

「ひどい、佐藤さんたら」
「ごめんごめん。だけど、そんなに気にすることないと思うな。別に橋なんて渡らなくていいでしょ。慎重なのは悪いことじゃないんだし」

 傍らの大きな窓からは青い夏空と無数の高層ビルが見える。
 頼まれた仕事に時間がかかり、遅れてお昼休みに入ったので、休憩スペースには私と佐藤さんしかいなかった。

 インターシップでは、毎日が緊張の連続だ。特にそこが第一志望の企業であれば、一秒たりとも気が抜けない。

 覚えなければいけないことがたくさんある上、常に誰かに見られている。
 もちろん私自身も、よい評価をもらいたかった。それが就職につながるかもしれないからだ。

 そして私が今いるのは、業界でも名の知られた大手デベロッパーである長瀬リアルエステートの本社。ここで働くことをずっと夢見てきた企業だ。

 大学三年生の夏休み、私は念願の場所でインターシップに参加していた。
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