交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
 とはいえ、長瀬さんの様子も気になるし、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。
 なるべく水分を取って、食事は消化のいいものを――先生はそう言っていたから、いろいろ用意しなくては。

 本当は早々に出ていくつもりだったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

(世話をするからには……もういっそ大きなピクルスだと思うことにしよう)

 私はようやく覚悟を決めた。大きく息を吸って、長瀬さんが眠る寝室の前に立つ。

「お邪魔しまぁす」

 ノックをすると起こすかもしれないので、声をひそめて、ドアを開けた。

 カーテンを閉めているから部屋の中は薄暗く、大きなベッドに横たわる長瀬さんの姿がぼんやり見えた。かすかに寝息が聞こえるから眠っているようだ。

 本当に疲れているのだろう。私が近づいても、身じろぎもしない。北山先生が言っていたように、長瀬さんは限界を超えるほど無理をしてしまったのかもしれない。

(どうして?)

 倒れるくらいなら、帰国日程を早めない方がよかったのに。そうまでしてがんばった理由は何なのだろう?

 北山先生と話したおかげで、今まで知らなかった長瀬さんの面が見えてきた。たとえば、

 ――初恋の相手もずーっと引きずっていたし。

 その言葉を思い出した瞬間、胸の鼓動がわずかに乱れたような気がした。
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