交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
「……あれ?」

 私は反射的に胸に手を当てる。なんだか息苦しくなって、何度か深呼吸を繰り返した。

(初恋の相手?)

 北山先生は「引きずっている」と言っていた。
 もしかして長瀬さんは今でもその人のことが好きなのだろうか? 
 それなのに契約とはいえ私と結婚して……しかもキスして、あんなことまで言った。いったいどういうつもりなのだろう?

(いやいやいや!)

 今はそんなことをグルグル考えている場合ではない。
 私は長瀬さんを起こさないよう、そっとベッドをのぞき込んだ。落ち着いているようなら、解熱剤を買いに行こうと思ったのだ。

 ところがこんな状況だというのに、つい視線を奪われてしまう。
 いつもかき上げている前髪が額にかかっているからか、今日の長瀬さんは少し少年っぽく見えた。かすかに眉を寄せているのは。熱のせいでつらいからだろうか?

(大丈夫かな?)

 思わず身を屈め、額に手を伸ばしかけた時だった。

「あ」

 ふいに長瀬さんが目を開けたのだ。潤んだ瞳と至近距離で視線が絡み、心臓が大きく跳ね上がる。

「みずほ……さん?」
「ご、ごめんなさい。起こしちゃって。あの、具合は大丈夫ですか? 何か飲みます? あ、えっと、お水とか、すぐ持ってきますから」

 そんな必要はないのに、私は妙に慌てて、やたら饒舌になってしまったが――。

「……よかった」

 低く掠れた声が聞こえてきた。
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