交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
「えっ?」

 一瞬、聞き違いかと思った。それほど思いがけない言葉だったのだ。

「あの、もう一度言っていただけますか?」
「お願いします、みずほさん。どうかご自宅に帰ってください」

 長瀬さんは箸を置くと、姿勢を正して頭を下げた。

(帰る?)

 やっぱり聞き違いではなかった。だが、今度はその意味が理解できない。ここにいてほしいと頼んだのは彼の方なのに、どうして急に真逆なことを言い出したのだろう?

 私は何も言えないまま、長瀬さんを見つめた。

「勝手ばかり言って、本当に申しわけない。だが、お互いのためには……それが一番いいと思います」

 長瀬さんは頭を下げたまま、硬い声で繰り返す。

(お互いのため?)

 さっきだってこの場にいたことを感謝されたのに、いったいどういうことなのだろう? 確かに今朝までは自分でも帰りたいと思っていたし、そうするつもりでいたけれど。

「でも、ここにいてほしいって……長瀬さんはずっとおっしゃっていましたよね。だったら、私を帰したくなった理由を教えてください」

 これまでも彼にはさんざん振り回されてきたのだ。いきなり帰れと言われても、なんだか納得できない。

「それは――」

 長瀬さんは視線を落としたまま、大きく息を吐く。
 やはりまだ具合が悪いのだろうか? 家に、私みたいな他人がいたら耐えられないくらいに。

「あの、もし身体がつらいなら――」
「いえ、それは違います」

 長瀬さんはふいに顔を上げ、私と視線を合わせた。

「俺はもう、ここでのあなたの無事を保証できない」
「えっ?」
「か、かわいい寝顔は……反則です、みずほさん」
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