交際期間0時間の花嫁 ――気がつけば、敏腕御曹司の腕の中――
 目の前の強ばった顔がみるみる赤くなっていく。

「……長瀬さん」

 あなたの無事を保証できない――意味深なせりふに、私は息をするのも忘れて固まっていた。いくら恋愛経験が乏しくても、さすがにその意味くらいはわかる。

 もともと重い空気がさらに重くなった。いや、濃度が増したといえばいいのだろうか? 
 私たちはしばらく硬直したまま見つめ合っていたが、やがて長瀬さんが深いため息を吐いた。

「いや、すみません。いきなり変なことを言ってしまって。俺は、あなたを困らせてばかりだな」
「そうですけど」
「とにかく俺はもう大丈夫ですから」

 けれどその言葉とは裏腹に、長瀬さんはなんだかつらそうに見えた。確かに体調は回復したかもしれないが、その代わり別のどこかにもっとダメージを負ってしまったような――。

「私も……同じように思いました」

 私は一拍置いて、口を開いた。
 一番いいのは私が家に帰ることです――そう続けるはずだったのに、なぜか唇から零れたのは全然違う言葉だった。

「長瀬さんの寝顔も反則です。すてきでしたから……とても」
「み、み、みずほさん!」

 長瀬さんの声が気の毒なくらいひっくり返って、私はようやくとんでもないことを口走ったと気がついた。

「あ、あの――」

 自分をセーブできないと言った相手を、さらに煽るような真似をしてしまったのだ。リカバーしようと思っても、次の言葉が見つからない。
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