恋愛タイムカプセル
次の土曜、私は前川邸に打ち合わせに行った。
前川邸は大きなコンクリート住宅で、外観はグレーの四角い箱みたいだ。外構も建物に相応しいシンプルな作りで、植栽やフェンスもすっきりとしたものでまとめられている。
中も想像通りで、家具は黒と白の2トーンカラー。ちょっとした小物にブルーを挿し色に使い、控えめだけどメリハリがある。
私はちゃっかりと家主の趣味を把握した。家の中に置かれた家具達も重要な参考資料だ。
問題の中庭はわりと整っていたが、依頼主の前川様は緑ばかりで飽きたらしく、心機一転したいそうだ。
悪いわけじゃないけど、気に入っていない。そういう理由で家を変えたいというお客様もいる。特に、こういうお金持ちはそうだ。好きなものだけで生活を固めたいのだ。
私は依頼主から要望を聞き、来週中にデザイン案を提出することを約束した。
中庭だけの改修工事はあまりないが、この家を設計したのが結城社長だから仕事が回って来たようだ。この依頼主も、結城社長の知り合いらしい。
前川邸を出た頃にはすっかり日が高く登っていた。腕時計はちょうどお昼を指している。
今日は休みだからこの後は自由だ。どこかで昼食でも摂ろうか。買い物でもしてサッと帰ろうか。
駅に向かって歩いていると、視界に大きな建物が映る。下調べの時に見た図書館だ。
ここに春樹くんが働いているのだろうか。もし会ってしまったらどうしよう。わざわざ職場まで来るなんてストーカーみたい、と思った。
けれど今日は現場に来ていたのだ。別に彼を探していたわけじゃない。図書館は────参考資料を探しに来ただけだ。
よし、と意気込んで図書館へ向かった。
図書館はパッと見、とても大きい。まるでレゴブロックを積み上げたような外観をしている。あの彼がこんなおしゃれな建物で働いているなんて思えない。
けれど、中は普通の図書館だった。広いエントランスを抜けると一階から三階までは図書館、上の階に会議室なんかが入っているようだ。私は一階の図書館へ入った。
少し窺うように受付を見る。受付のカウンターテーブルの奥に座っていたのは女性二人、中年の男性が一人だ。彼の姿はない。
なんとなくほっと、そして残念な気持ちになりながら奥へ進む。
外観から察するに、まだ建ってからそう経っていないようだ。カーペット状の床は日焼けの跡も足跡もなく、綺麗なままだ。
せっかくだからデザイン書でも探してみようか。私は看板で美術の棚を探し、本棚のそれを眺めた。
蔵書数は多いようだ。うちの事務所もかなりのデザイン書を所有しているけど、ここも負けていない。
私は面白そうと思ったものを手に取って眺めた。
彼は、こんな場所で仕事をしているのだ。私だったら、きっと仕事よりも本に目が移ってサボってしまうかもしれない。
「すみません。そこ、いいですか」
声を掛けられ、私は慌てて横に避けた。図書館のスタッフだ。本を棚に戻そうとしていたところを邪魔してしまったらしい。私は「すみません」と謝った。
「え?」
私はそのスタッフを見て顔をしかめた。白いシャツにグレーのスーツパンツ。もっさりした髪型に黒縁眼鏡。どこかで見たような顔だと思ったら、あの北原春樹くんではないか。
思わず二、三歩下がった。彼も、私を見つめた。
「篠塚さん……?」
「春樹くんここに勤めてたの!? ……あ、ごめん」
私は大声を出してしまったことを謝った。いるかもしれない、ぐらいには思っていたが、まさか本当にここに勤めているとは思わなかった。
彼も、少し驚いたようだ。
「現場が近くて、たまたま寄ったの」
聞かれてもいないのにそんな説明をしてしまう。これじゃあなたを探しに来ましたって言っているようなものだ。けれど彼は、特別不快な顔をしたり喜んだりはしなかった。
「何か探してたの? ああ……デザインの本か」
「うん。ここ、デザイン関係の本多いんだね」
「ああ、そうかも。借りる?」
「あ────うん。じゃあ、借りようかな」
借りるつもりはなかったけど、断るのはなんだか忍びなかった。彼の持ち物でもないのに。
彼はカードを持っているかと尋ねた。持っていないと答えると、親切に申し込み用紙を持って来てくれた。必要事項を記入して、彼に渡す。彼はちょっと待ってて、と言って受付の奥へ入った。
私はすごい、彼も仕事してるんだ。なんて感心していた。高校の時の彼なら司書なんて余裕だろう。けれど、あの野暮ったい髪型と眼鏡が勿体無い。彼の職場の人達は見慣れているのか、全く気にしていないようだ。