恋愛タイムカプセル
 私はその二週間後のギリギリに図書館を訪れた。

 借りた本はとっくの昔に読んでいたからもっと早く返してもよかったのだが、そうするとまるで彼に早く会いたいみたいに思われるのが嫌で、こんなにギリギリになってしまった。

 その日は、彼は受付に座っていた。何か事務処理をしているようだった。声をかけるのがなんだか躊躇われたのでそのまま通り過ぎようとすると、顔を上げた彼と目が合った。

 彼は気付いたような仕草を見せて、そのまま顔を下ろした。

 忙しいのかもしれない。彼だって仕事しているのだ。いつも私に構ってなんていられないだろう。

 私は受付ではなく、本の返却口に本の返却袋を返した。

 また本を借りようか。けれど、それだとまたここに来なくてはならない。そうすると、彼と会う口実が出来てしまう。

 これ以上ここに来ていいのか分からなかった。穏やかな思い出が変化してしまうことが恐ろしかったのだ。

 ────せっかくわざわざ来たんだし、ちょと見るぐらいならいいよね。

 結局、図書館の中を見て回ることにした。この間は一階しか見なかったが、図書館は元々三階に分かれている。

 分類ごとに分かられた本棚にはぎっしりと本が詰め込まれ、見る人間を飽きさせない。全く興味のないジャンルでも、なんだかワクワクした。

 本の背表紙を追いながら、私は高校の時通っていた図書館のことを思い出した。

 私が通っていた高校の図書室は間に合わせ程度の、たいしたものではなかった。大きな部屋のスペースの半分には折りたたみ式の机が置かれていて、本棚は端っこにちょこっとある程度の、図書室とも呼べない代物だった。だから私は高校の図書室に通った記憶はない。

 その代わり、学校の近くに県が運営している図書館があったからそちらに通っていた。そこが、彼が通っていた図書館だった。

 そこもたいした蔵書数ではないけれど、高校のよりはマシだった。

 私はそこで何度となく彼に会った。彼と本の話もした。彼と話すためにいくつもの本を借りた。

 全て、過去のことだ。あの懐かしい思い出は記憶の奥に閉じたはずだった。

「篠塚さん」

 振り向くと、彼がいた。まさか私を探したのだろうか。いや、そんなはずない。

「あ……こんにちは。今日は本を返しに来てたの」

「他の対応してて、ごめん」

 彼の表情は申し訳なさそうではないけれど、言葉少なでも申し訳ないと思ってくれていることがわかる。私は避けられたわけじゃないとわかってホッとした。

「ううん。本は返却口に返したから大丈夫。もう帰るから」

「今日は本借りないの」

「あんまりしょっちゅう借りたら、迷惑かなって」

 私は誤魔化すように笑顔を浮かべた。鬱陶しいと思われる前に保険をかけた。近付きすぎるとまた悲しい思いをしそうで怖かった。

「迷惑じゃないよ」

 春樹くんは真っ直ぐに私を見つめた。優しい。それなのに力強い言葉だ。私の胸は引力に導かれるみたいに過去の思い出に辿り着く。

 ────春樹くん、覚えてる? あなたは過去も、そう言って私を拒絶しなかった。彼女がいたのに、私の告白を断ったのに、あなたはそうやって優しくした。

 大好きな人にふられた辛い思い出のはずなのに、私は何度でもそれを思い出せた。彼が不思議なほど優しかったからだ。

 けれど、ふっと我に帰る。

 彼はこうして優しいから「王子様」なんて呼ばれていたのだろう。この優しさは、私だけのものじゃない。彼は誰にでも、そうしてるのだ。だから期待なんてすべきではない。

 わかっていても紛らわしい態度に騙されてしまうのが私の駄目なところだ。

 私が言葉を返さずにいると、彼は視線を落とした。

「ごめん。俺が邪魔だったね」

「そんなことないよ」

 私は慌て気味に答える。こうやって焦って、彼の前だといつもの自分には戻れない。大人になったのにそそっかしてくて情けない自分が丸出しだ。せっかく変わったところを見せたいと思うのにうまくいかないものだ。
 彼はほんの少し笑みを浮かべた。

「三階に自習室があるんだ。そこなら、仕事を持ち込んでも大丈夫だよ」

「自習してもいいんだ」

「混んでる時は駄目だけどね。結構スペース広いから、スケッチぐらいなら大丈夫だよ。絵の具は困るけど」

 私はぷっと吹き出した。彼は安心させようとしてくれているのだろうか。自習する気なんてなかったけれど、こう言ってくれるならここで長居しても嫌には思われないだろう。

 わざわざここまで来てスケッチなんてしないかもしれない。でも、たまにはいいかもしれない。

「ありがとう。じゃあ、また機会が合ったら使わせてもらうね」

「うん。じゃあ」

 彼は背を向けて近くに置いていたプラスチックの箱を持ち上げた。中には本が入っているみたいだ。

 私は馬鹿みたい。と思った。彼がわざわざ探しに来てくれたなんて、そんなわけがない。仕事のついでに決まっている。

 熱くなった頬を冷ますように掌を当てる。

 こんなふうに昔のことばかり思い出しているのはきっと私だけだ。いちいち揺さぶられて彼の一言一言に一喜一憂している。

 けれどあの頃の続きかと思うほど私達は自然だ。振られていることなんて忘れてしまうほど。
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