恋愛タイムカプセル

「なんだかいい案が浮かばないなあ」

 私はスケッチの広がったデスクに伏せて唸った。

 担当している前川邸との話は進んでいるものの、施工に使う細かい材料で悩んでいた。普段だったら、これぐらいパッと浮かぶのに今は思考が冴えていないせいか仕事がダラダラしていて進まない。

 気分転換がてら、コンビニでも行こうか。

「私コンビニ行くんですけど、何か買うものある人いますか」

 オフィスにいた人たちに声を掛けると、皆仕事の手を止めて振り返った。

 それぞれコーヒーやらミックスジュースやら注文を言う。私はウェイトレスのように逐一それをメモした。

「俺も行く。今日は社長の奢りだ」

 近くの会議用テーブルに座っていた結城社長が立ち上がった。皆がやったー! と叫びながら口々に礼を言う。結城社長がこういう気遣いをするのは初めてではないけれど、私はさすがだな、と思った。

 コンビニは歩いて十分のところにある。気分転換やタバコ休憩のため行く社員も多い。私も案が浮かばない時は散歩がてらよく行った。

「悩んでそうだな」

 結城社長の一言に、私はそうなんです、と肩を落とした。

「前ちゃんはいい出来になりそうって言ってたからな。期待してる」

「前ちゃん」というのは前川邸の依頼人のことだろう。結城社長とは仲がいいようだ。私も期待されているから頑張らないといけないのだが、花火大会の夜から、ずっとモヤモヤしていてどうにもアイデアが浮かばなかった。スランプだろうか。

「社長は、もし昔大好きだった人に出会ったらどうしますか」

 普通は社長にこんな質問をしないだろうが、結城社長は非常にフランクで親しみのある男性だった。業界では有名だが、お高く止まったところがないので社員たちから好かれていた。

 だから私も、こういう質問をすることに特に抵抗はなかった。普段も女性社員たちと恋愛話で盛り上がっているような男性だ。

「好きだった、か。今も好きならまたアプローチするかもな」

「ですよね」

 社長はそういう性格だ。チャンスがあったら飛びつく。そんな絶好の機会を前にして尻込みをするような人間だったら、今彼はこんなに有名になっていなかっただろう。

「なんだ? 前に言ってた男のことか」

「まあ……そうです」

「好きなら言えばいいんじゃないか? 別にややこしいこと考えなくてもいいだろ。好きか嫌いか、それだけだ」

「でも……もしそれが、いけない恋だったら?」

 私の言葉をどういうふうに解釈したのか、彼の表情が難しいものに変わる。

「篠塚、不倫はやめておけ」

「ふっ……不倫なんてしてません!」

「なんだ、違うのか」

「違うに決まってます!」

 私は不倫なんてしない。そんな根性があったら春樹くんとの恋愛だってもっとうまくいっていた。

「いけない恋愛なんてないんじゃないか」

「それは、不倫を肯定してるのと同じですよ」

「そういう意味じゃない。誰も傷付かずに恋愛するのが無理だとしても、思いやってれば相手に伝わる。身勝手になってやり方や順序を間違えると、不倫とか浮気になる。相手を尊重してないからだ。篠塚がいけないって思うってことは、何か引き止めるものがあるんだろう」

 そうだ。高校の頃の私は卑怯なことを考えていた。彼の幸せを願う一方で、相手を蹴落としてやろうと考えていた。

 私の勇気とず太さが足りなかったおかげで結局それは実行に移せなかったが、一瞬でもそんなことを考えていた自分が恐ろしい。

 だから、私は彼への恋を「いけない恋」にした。

「……優しすぎるんです。すごく優しい人だから、私なんかじゃ釣り合わない気がして」

「まあ、優しいにも程度ってものがあるが────相手がそうするってことは、少なからず篠塚に気があるんじゃないのか?」

「違います。彼はみんなに優しい王子様なんです」

「そんな男いるのか?」

「いるんですよ」

「お前が男をどう思ってるか知らないが、理想と現実は違うぞ。もし優しいんだとしたら、何か考えてる。馬鹿みたいに誰にでも優しくしまくってる男なら、逆に信用できないな」

 私はついムッとした。いくら結城社長でも、彼の侮辱は許せない。けれど、その言葉はもっともだ。

 あの頃は王子様と言われている優しい彼に憧れていたが、大人になればそれはただの夢だったのだとわかる。

 けど、彼が打算的なことを考えて優しくしているなど、とても想像できなかた。
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