恋愛タイムカプセル
 週末、久しぶりに図書館へ行った。

 久しぶりと言っても先週以来だから一週間も経っていない。

 ここへ寄ったのは前川邸に用事があったついでだが、そんなものはていのいい言い訳だ。

 私はあれから春樹くんに連絡せず、向こうも特に連絡して来なかった。

 なんとなくまだ現実味がなくて、彼からアクションを起こしてくれることを待っていたらいつの間にかこうなった。
 要は怖かったのだ。

 私は春樹くんを探さず館内を彷徨いた。

 両思いになったのにこんな意地を張っているなんて滑稽だ。本を探しているフリをして、本当は彼を探している。

 ふと、輸入図書の棚に視線が止まった。背表紙は英語で書かれているため読めないが、中身はどうやら写真集のようだ。分厚いオモテ表紙をめくると、色鮮やかな外国の景色が写っていた。

 仕事の参考になりそうだからと、私はそれを受付に持っていった。

 ちょうどそこで、彼が他の入館者の相手をしていた。私が彼に目配せをして気付いてもらおうとしたところで、「こちらへどうぞ」と別の受付から声をかけられた。

 声をかけてきたのは鈴野さんだ。私は少し戸惑いながらも彼女が立つカウンターの前に立った。

「こんにちは。この間はありがとうございました」

 彼女は相変わらず愛想良く挨拶をしてくれた。確かに、元気のいい大学生に見える。

「いえ……私は何もしていませんから」

「そんなことないですよ。北野くんもすごく助かったって言ってましたから」
 
 また、私の中で何かがカチンと音を立てる。けれどすぐに、いけない。と考えを改めた。

 私はこの間までの私ではないのだ。春樹くんと両思いになった正真正銘の彼女なんだ。だからつまらない嫉妬はよそう。

 彼も言っていた。鈴野さんはフレンドリーなだけで、悪気はないと。だから私が気にする必要なんてこれっぽっちもない。

 私は愛想笑いを浮かべ、彼女が本を貸し出し袋に詰めてくれるのを待った。

 すると、ようやく受付に並ぶ入館者を捌いたのか、彼がこちらの受付に近づいてきた。

「鈴野さん」

 彼が呼んだのは私の名前ではなかった。

 私は一瞬不安に駆られ、先ほど打ち立てた自信が脆くぐらつくのを感じた。

「代わって。あとは俺がやるから」

 彼の淡々とした物言いに、鈴野さんはやや驚いているようだった。

 私も驚いた。それは彼がわざわざ彼女に代わってくれと言ったからではなく、彼にしては事務的な、なんだか冷たい態度だと思ったからだ。

 けれど鈴野さんは過去の彼を知らないからか、「わかりました」と言って愛想よく引き下がった。

 珍しこともあったものだ。もしかしたら彼は機嫌が悪いのかも知れない。彼が来てくれてほっとしたが、なんだか邪魔をしたようで申し訳なくなった。

「ごめん。あっちの受付混んでたんだ」

 春樹くんは私がよく見たことのある笑みを浮かべた。いつもの彼だ。

「ううん……仕事中に来てるから、こっちこそ邪魔してごめんね。声を掛けないようにしてたんだけど……」

「声は掛けて。邪魔じゃないから」

 そう言われて、私は困って視線を下げた。

 この間からずっとこんな調子だ。誰か春樹くんに変な薬でも飲ませたのだろうか。

 見た目は全然王子様じゃないのに、彼の涼やかな声が甘い言葉を紡ぐたび、恋愛小説の世界に迷い込んでしまったみたいな気分になる。

 彼は鈴野さんが詰めた貸し出し袋を私に差し出した。

「週末、どこか行く?」

「え?」

「朝陽に……予定がないなら」

 喉の奥がキュッと窄まるのを感じた。ここに誰もいなかったら、胸を押さえつけて心臓病を患った人みたいにハアハアと息切れを起こしただろう。

 彼が私の名前を呼んだのは初めてのことだった。

 朝陽────。私の名前はこんなに美しい響きをしていただろうか。

 私がぼうっとしていると、彼は別の意味に捉えたのか、申し訳なさそうに謝った。

「……ごめん。嫌だった?」

「う、ううん。ちょっと驚いただけ」

「すぐじゃなくてもいいから。俺の休みは土日のどっちかと月曜の休館日。だからまた、朝陽が休みの日を教えて」

「うん……」

 私は貸し出し袋を持ってゆっくりとカウンターを離れた。

 振り向くと彼はすでに別の入館者の相手をしていたが、ちらりと私に視線を向けてくれた。

 ────夢じゃない。私本当にあの春樹くんと付き合ったんだ。

 スキップしたくなるのを必死に抑えながら、私はにやけた顔を見られないように早足で図書館を出た。
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