恋愛タイムカプセル
 私達はクリスマスのBGMもなく、テレビも点けず、普段と同じように食事を楽しんだ。

 いつの間にか食事が終わって、春樹くんは本棚に置いている私のスケッチブックを見始めた。面白いものなんて一つも書いていないと思うけど、彼は一ページ、一ページゆっくりとページをめくる。

 その間私はなんだか手持ち無沙汰で、どうしようか迷っていたところ、ふと思い立ってスケッチブックを取り出した。

 ベッドのフレームにもたれてスケッチブックを見る彼の姿がなんとなくいいなと思ったのだ。

「朝陽?」

「そのまま見てて。ポーズ変えちゃってもいいから」

 私がまだ真っ白なそこに集中すると、彼は仕方なさそうに笑ってまたページをめくった。

 いつか私が描いた春樹くんと今の春樹くんはかなり違う。今の彼はもっと格好よくなったし、あの時より大人っぽい。ちょっとした横顔も、なんだかため息が出そうだ。

 私が集中して鉛筆を紙の上で滑らせていると、彼はスケッチブックから顔をあげた。

「朝陽はいつも、絵を描くと集中して俺のことなんて目に入らなくなる。昔からそうだ」

「……ごめん。嫌だった?」

「違うよ。それだけ好きなものがあって、熱中しているのはすごいことだと思う。ただ俺も、その世界を知りたいなって思っただけだよ」

「そんなにすごいことかな。絵なんてみんな描いてるよ。私の絵なんて素人に毛が生えた程度だし」

「俺は絵のことはよくわからないけどさ。朝陽の絵を見てると、なんか懐かしい気持ちになるんだ。多分、小さい頃からずっと見てたからかな。たまに思い出すんだ。あの時君はあんな絵を描いてたなとか。それでまた見たくなる」

「あの頃の絵はお母さんが捨てちゃったよ」

「そうか……残ってたらまた見たかったんだけどな。俺の大事な思い出の品だから」

 それから何十分か後、私はようやく鉛筆を置いてスケッチブックの上に乗った消しカスを息で吹いた。彼は「早いな」と言ってすぐに私に近付いて絵を覗き込んだ。

「これ、俺?」

「似てないかな」

「いや────」

 スケッチブックの中の彼は体操座りを崩したみたいな格好でスケッチブックを見ている。真剣な表情はどこか笑っているようで、楽しげだ。

 少しは彼らしく描けただろうか。彼はあんなに見たいと言っていたその絵をなんだか恥ずかしそうに見ていた。

「こうして見ると、俺って全然格好よくないな」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ。そうか、朝陽にはこう見えてるんだ」

 そう言いながらも春樹くんはなんだか嬉しそうだ。

「ねえ、この絵私がもらっていい?」

「朝陽が描いたんだから朝陽のものだよ」

「一応、肖像権は春樹くんにあるからね、クリスマスプレゼントはこれがいいな」

「本気で言ってる?」

「もちろん。あ、春樹くんのクリスマスプレゼント渡すね」

 私は少し前に買ったそれをベッドの下から取り出した。

 深いグリーンの包み袋にはクリスマス仕様の金色のシールが貼られているだけだ。少し味気ないかもしれないが、本屋のラッピングなんてこれが限界だ。

 彼は開けてもいい?と尋ね、私はどうぞ、と答える。

 簡単に開いた袋から分厚い本を取り出すと、彼はぱあっと笑顔になった。

「写真集だね」

「うん。素敵な風景がたくさん載ってたの」

「朝陽が図書館で借りてたのと同じだ」

 彼はパラパラとページをめくり、写真集に載った美しい景色を眺めている。
 やがて、その本の一ページに目を留めて顔をあげた。

「これ、前に朝陽が描いてたのと似てる」

 彼が見ていたページに載っていたのは山を染めるように咲くツツジの花の写真だ。桃色のツツジの花は、いつか私が絵に描いた花だ。彼はちゃんと、そのことを覚えていてくれた。

「春樹くんといつか行きたいなって思って」

「じゃあ、年に一回この写真集に載ってる場所に行くってのはどう」

「いいね。全部回りたい」

「朝陽がおばあちゃんになるぐらいまでかかるけどいいの」

 春樹くんの声が少し静かになる。私はそれに気付いて、なんだか恥ずかしくなった。でも、決して嫌じゃない。そんなになるまで一緒にいてもらえるなんて、とても幸せなことだ。

「いいよ」、と答えると彼は安心したように私に身を寄せた。

「私、昔からいいなあって思ってたことがあって」

「なに?」

 彼は私の肩に頭を預ける。私はその彼の顔を覗き込むように言った。

「春樹くんが本を読んでるところを、絵に描きたいなって思ってたの。だから、今日それが一つか叶ったんだ」

「昔って、いつから?」」

「いつだろう。私、春樹くんの絵何度か描いたことあるんだけどね。あ、もちろんこっそりだけど……ごめんね」

「いいよ。ちょっと恥ずかしいけど」

「そう思うと不思議だよね。あれから十年────うーん、小学生の時からだと十五年ぐらい経ってるんだ。時間が経つのって早いね」

「朝陽はさ、どうしてあの時俺に連絡くれたの」

「え?」

「突然メッセージ送って来たから」

 あれは、飲み会の罰ゲームだった────。なんて彼に言ったら怒るだろうか。
 半ば強制的に、いや。半分は自分で選択したのだが、私は彼にメッセージを送った。
 今思えば、あれがなければ私は永遠に彼と関わることがなかっただろう。そう思うと、あの罰ゲームの発案者には感謝しなければならない。

「春樹くん怒らない? あんまりいい理由じゃないの」

「なに?」

「会社の飲み会でね、昔好きだった人をデートに誘うっていう罰ゲームをやったの。私それに当たったんだ」

「じゃあ、俺に連絡したのは罰ゲームだったってこと?」

 頷くと彼は納得したようにそうか、と答えた。悲しんではいなさそうだった。私だったら怒っていたかもしれない。そんなひどい理由で連絡して来たら二度と連絡を取らなかっただろう。

 私は申し訳なくて謝った。

「いいよ、朝陽は俺を思い出してくれたから。それに、今の俺も好きになってくれた」
 
 私は彼の優しさが嬉しくて同じように彼に体を預けた。

 足元に置いたスケッチブックの彼は、隣にいる彼は、これからどんなふうに変わっていくのだろうか。

 この髪が白髪になって、手もしわだらけになって、しゃがれ声になって。でもやっぱり私は彼を好きになれると思う。

 私があの時彼を思い出したように、時間が経っても覚えていられる、変わらない想いもあると思う。

 このスケッチブックに描いた彼が変わらないように。



      【完】
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