薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
「なんだ、考えてなかったんだ進さん。
頭使うのは人任せだなぁ。」
「何をこの野郎。」
「だいいち、銭もねえ女に住処なんてそうそう見つかるもんかよ!」
やおら売り言葉に買い言葉で啖呵を切った蔵之進が、
しまったという顔になりました。
「……そうですよね。私、お着物を頂いたら
ちゃんと出てゆきますから……。」
ため息をつく徳太郎と食って掛かる蔵之進の真ん中で、
お紅が小さく小さくなっているのです。
「あーあ、進さんが泣かしたー。あやまってよ。」
「うるっせえ。その、すまん。詮無いことを言っちまった。」
男ふたりはそれぞれに眉を寄せたり、
口をへの字に結んだりとばつの悪い表情をします。
徳太郎はこの世の良くないことは全部この人のせいだと
言わんばかりに、蔵之進を意外にもごつごつと節くれだった手で指差しました。
こういう時の身替りの早さで徳太郎に先手を取れた試しがないので、
蔵之進は眉をひそめながらも謝罪する役を買って出たようでした。
「いえ、本当のことを言ってもらったんです。
明日から自分で奉公先を探さないと。」
それから、三人とも少しの間だけ黙りこくっていたのですが
急に徳太郎がぱっと明るい顔になって身を乗り出して来ました。
「そうだっ。ねえ進さん、前に一仕事したの覚えてる?」
「ああ?あァー……鍛冶屋町かどっかだったか。」
「あれは手前ぇ、仕事ったってよ。」
「面倒なちんぴらが住み着いてるって、わたしが大家のおばあちゃんに
泣きつかれてるのを進さんに相談したじゃない。」
「そいつから進さんが店賃すっかり巻き上げて叩き出した後、
まだ誰も店子に入ってないはずだよ。」
店賃(たなちん)とは今で言う家賃、店子(たなこ)とは入居者のことです。
「おばあちゃんに頼んで、身の振り方が決まるまで
住まわせてもらうって言うのはどう?」
「けどよう店賃はどうすんだよ。」
「それに、あすこは夫婦の店子が欲しいって話だったろうが。」
「あの町家のあたり、我が藩にゆかりの土地なもんだから
わたしを通せば安く貸せるうえ、ちょうど藩邸の外に手もほしいんだ。
その日その日の仕事をしてくれれば暮らすための銭は都合できるよ。」
「それに進さん。男と女が一人ずついれば夫婦だろ。
もうここにいるじゃないか。」
言葉の意味をはかりかねていたのは、お紅も同じでした。
徳太郎の眼差しがすっと一人の男に移ります。
視線の先には他でもない蔵之進。それからお紅と順番に何度も見比べています。