薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
「徳太郎さん、それは……つまり……まさか……。」
「やい徳、呑みすぎてヤキが回ってんじゃねえだろうな。」
お紅は自分の心臓がやたらと早く鼓を打っていくのを感じます。
その横では、飛び出るかと思うほど
目玉をひん剥いた蔵之進が徳太郎を睨んでいました。
「とんでもない!わたしは大真面目だよ進さん。」
「進さんとお紅ちゃんが夫婦になって住めば良いんじゃないか!!」
勢いよく徳太郎が立ち上がりました。
彼は名案だと一人でひたすら頷いています。
お紅は、顔の周りが熱くなって固まったように動きません。
それでいて体はむずむずとして、店の外へ駆け出してしまいたくなるのでした。
(私が……蔵之進さんと夫婦……この人と……?)
夫婦という言葉がぐるぐると頭の中で渦を巻きました。
思いつく夫婦など、父と母くらいしか知りません。
里でも男を好きになったことなどないのに、
私に夫婦など務まるのだろうか。恥ずかしさの後に不安が募ります。
「進さんだって他人事じゃないんだから。
ちょうど、ねぐらにしてた賭場を
お役人に押さえられて困ってるって言ってたじゃないか。」
「冗談じゃねえ。てめえに仲人されるくらいなら、
狐にでも頼んだ方がましだ。」
「だいたいなァ、お紅だって困るだろうが。
誰もがてめえみたいな節操なしと思うなよ。」
いきり立った蔵之進が、お前もそうだろう。とお紅に振り返ります。
ずっとお紅はうつむいて、もじもじしていましたが
蔵之進と徳太郎を真っ直ぐ見て言いました。
「……私は……ええと……かまいません……。
まとまったお金の工面も思いつけないから。」
みるみるうちに、蔵之進の眉間に皺が寄っていきます。
彼女の言葉が急に海の向こうの言葉になってしまったかのように、
蔵之進には不可解に聞こえました。
しかしながら徳太郎の提案に一理あるのも頭で分かっていたので、
このやくざ者はどんどん渋い顔になるのです。
「うん、うん、お紅ちゃんさすがだなぁ。
進さんより飲み込みが早いや。」
「これで二対一ですよ進さん。
もっと良い案があるなら聞かせてくださいよ。」
鬼の首を取ったよう、という言葉を使うなら
まさにこの時の徳太郎に使うべきなのでしょう。
にこにこして返事を催促する徳太郎の髭が、
さっきより誇らしげにぴんと立っています。
「く、くそっ……!しゃらくせえ、わかった、わかったってんだよ畜生め!!」
「だがこいつの身が落ち着いたら、縁もゆかりもねえ。ただの他人だ!」
首を取られた側の蔵之進は頭をかきむしったかと思うと、
絞り出すような声で提案を受け入れました。
そして首を縦に振ったっきり、座敷に寝転んでふてくされてしまいます。