薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
「だが、ちっと了見が狭いぜ。お前よ。」
「京に店(たな)なんぞ、ごまんとあらぁ。
一日や二日であきらめちまうのは
いくらなんだって気が早い。」
「貧しい身の上にしたって、珍しくもねえ話だ。
死んで己を可哀想と思ったとこで、
お天道様や世間は屁とも思いやしねえよ。」
それは諭すというより、怒っているような
はたまた呆れているような表情でした。
つくづく物知らずだ、能天気な行いだ。
馬鹿馬鹿しい話だと、ばっさり言ってのけるのです。
これまで口はともかくお紅を悪く扱わなかった蔵之進でしたが、
はっきりと彼女に厳しい意見を突きつけました。
川で見たあの土左衛門。彼が死んだことで、
京の街は悲しみに包まれているでしょうか。
そんなことはありません。
いそがしく道を行き交う人たちには、なんの関わりもない話です。
誰も賀茂川で冷たくなった男など知ったことではありません。
人ひとりが死のうと酒場では楽しげに騒ぐ声が響き
お侍たちは相変わらずしかめっ面をしています。
世の中は何も変わりやしないし、
死んだその人を悼んでくれるはずもないのです。
道端で小石がちょっと転がった程度のことなのです。
それだけの結果しかもたらさないくせに、
死ぬ瞬間はやたらめったらに苦しくて辛いのです。
「死ねば楽になるなんて、嘘っぱちだい。
あんな苦しいことの、何が人を楽にしてくれるんだ。」
朧月党に狙われた時お紅が感じたこと、
死ぬのはとても寂しい思いもしなければいけません。
そんな死を自ら選びとってしまうなど、
あんまりにも割に合わないではありませんか。
蔵之進はこのように雄弁には語りませんでしたが、
憤慨の気持ちを隠すこともしませんでした。
まるで自分が死のうとしたかのように、蔵之進は吐き捨ててしまいます。
硬い表情でずっと聞いていたお紅は、
途中からうなだれるように彼へ目を合わせられなくなります。
「わかって……わかっているんです……。」
「けれど……わかっていても……
……どうしようもないことだって、あるんです……。」
「だって、だって、いったい、どうしたら……!」
カァ、カァとカラスが鳴くのが聞こえる中で
うつむいたまま、お紅は叱られた子どもみたいに
もごもごと反論しました。