薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
三の幕 芝居小屋
「とざぁーーい、とーざぁーーーい。」
チョンチョンチョン、と拍子木の音が刻まれますと
主役が木造りの舞台の真ん中で、刀を構えて大見得を切ります。
「この顔、忘れたとは。ア、言わすものかァ。」
主役の顔は白塗りに赤々と、隈取をほどこしてありました。
演じるのは仇討ち物。仇をみごと討って大団円を迎え、
緑や橙に染め抜いた定式幕が降りるのでした。
芝居小屋に広がる舞台の前には、
桟敷になっている見物席がいくらばかりかございます。
客の入りはそこそこと言ったところで
静かに見入っているもの、居眠りをしているもの、
ヨ、千両役者。とはやし立てるものと
めいめい自由に芝居を満喫しているのでした。
「やあ新入りはん、ええ敵(かたき)ぶりどしたわ。」
「仕草もうちょっと溜めてくれると、もっと見栄えしますよって。」
「無理いうない、こちとら素人の大根芝居だぜ。」
舞台の裏で衣装を脱ぐ仇役、手ぬぐいで白粉を落としたその顔は
ごくごく見慣れた蔵之進のものです。
彼はこの芝居小屋でいわゆる稲荷町と呼ばれる、
脇役を務める大部屋役者のひとりとなっていました。
「明日もお稽古通りに頼んます。
堀田様にいただいた、この演目で続けますさかい。」
「ちょうど新しいもんが欲しかったとこで、ええ機会でしたわ。」
「おうご苦労。徳め、何が簡単な仕事だ。」
蔵之進は座長と何やら話し込んだ後
忙しなく小道具を運び続ける人々を横目に、川べりで煙管にかじりつきます。
お紅と長屋に入ってから、すでに一週間が過ぎていました。