薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
なぜ蔵之進がこんなことをしているかと言えば、
例によって原因は悪友の徳太郎です。
彼が生計の足しにと持ってきたのは、芝居小屋の役者の仕事でした。
「徳め。俺が侍ともうひとつ、何が嫌いか知ってるだろうに。」
「くそ、これさえなけりゃな。」
彼が恨めしそうに懐から取り出したのは、一枚の人相書きです。
芝居嫌いの蔵之進は取り付く島もなかったのですが、
返事された徳太郎はこの人相書きを突きつけて来ました。
「これ、五条の土左衛門のことで出たんだ。」
「よく描けてるよねえ。おっかなそうな目つきなんか特に。」
お紅に身投げを思いとどまらせた、あの土左衛門。
あわれな彼は川下で発見されたようです。
そして近くで夜騒いでいた数名の男が
事情を知っているだろうと、
おおやけに捜索がされていました。
人相書きはその時にお触れとして出たものです。
人相書きの顔は、蔵之進にそっくりでした。
あの夜に誰が見ていたのか知りませんが
今や蔵之進は、役人に追われる身となってしまったのです。
「役者なら顔は白塗りのままだし、
そう簡単にはばれないと思うんだ。」
「あ、一座の人たちは心配しないで。
普段から人が抜けたり入ったりしてて
身元なんて気にしないから。」
徳太郎は、ふだん見物に行く芝居小屋に顔が効くようでした。
捕り方が探しているとなれば、めったな所では働けません。
蔵之進は、苦々しく首を縦に振るほかなかったのです。