薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)



「それで、あの連中のことだがな。」



茶碗を空にした蔵之進は、箸を置いて話し始めました。
蔵之進の言うあの連中とは朧月党のことです。



「役者連中に聞いたら、奴ら小屋の辺りにも来たとよ。
 おおかた川沿いをしらみつぶしにしてんだろう。」



同じく食事を終えていたお紅は、浮かない顔になりました。
あの夜に命を狙われたのが頭に蘇るのです。



「しけた顔すんなベニ公。あいつら何も探り当ててるわけじゃねえ。」



「それでだ。朧月どもをおびき寄せるのに
 俺と徳と芝居小屋のおやじの三人で一計を案じることにした。」



「なにを、するんですか。」



白湯を飲み干して蔵之進はにやりと笑います。
表情の真意が読み取れず、お紅はけげんな顔をしたままでした。



「いっちょう、芝居を打ってやったのよ。
 小屋じゃずっとあの夜のことを出し物にしてんのさ。」



言われて、やはりお紅にはなんのことだかわかりません。
じれったそうに蔵之進が頭を掻きます。



「進さん、それはいったいどういう……。」



「だからなァ。書状のことは俺たちと、当の朧月どもしか知らねえ。」

「芝居が噂になりゃ、きっとすっ飛んで来るぜ。」



蔵之進の計画は実に奇計というべきものです。
確かに当時の芝居はたびたび、
実際の事件を題材に演じることがありました。



大勢の人の前ですからこちらの安全を確保でき、
なおかつ相手の出方を窺えます。
それでいて事実が完全に明るみにはなりません。
台本を都合よく脚色すればよいからです。



芝居で時事問題を取り扱うのはお役人に良い顔をされませんでしたので、
時代や登場人物を変えて観客が興味を持ちそうな事件を再現してみせます。
こういう方法を江戸や上方の芝居小屋はとっていました。



「でも、あの人たちが芝居を知った後
 どうすればいいんですか……?」



「おうよ、手紙をちらつかせたら俺は舞台で待ちの一手だ。」

「連中にとって俺は憎っくき面(つら)よ。
 躍起になるに違いねえ。」

「あいつらが現れたらお前は、捕り方を連れてきてくれ。
 役人もお前のこと知らないはずだ。
 これで朧月党は一巻の終わりよ。」



ぱん、と蔵之進は握りこぶしでもう一方の手のひらを叩きました。
しかし、お紅にはまだ気になることがあります。



「それでは、進さんも捕まってしまいます。」



「寝ぼけんな。この俺がみすみす捕まるか。
 捕り方なんざうまく撒いて逃げてやるよ。」



事もなげに蔵之進は言ってのけましたが、お紅の表情は晴れません。



「でも、やっぱり心配です。」

「進さんの身をこれ以上……危ないめに会わせたくない。」


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