薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
「どうか堪忍くださいませ。どうか。」
「ならぬ。こんな時分にこんな所で溺れる貴様が悪いのだ。」
「ハァハハ。朧月党(おぼろづきとう)が人を斬るには良い夜よ。」
頭ごなしに罵られて、お紅は肩をびくっとすくめます。
人を殺すことを何か勲章でももらえることのように
自慢げな男達へ、怒りや悔しさも感じました。
何より、今のお紅は一人ぼっちです。
食い詰めた親にわずかな銭で身売りされ、
中山道を不安なまま連れられてきました。
ところが大津宿を越えたあたりで、
自分を買った男も盗賊に襲われ殺されてしまいました。
いま感じているのは食うものも食わず
京にたどり着いた時の、一人ぼっちの朝の寂しさです。
頼るあてもない女には、奉公先も簡単には見つかりません。
おもいきって遊郭や揚屋にも押しかけましたが、
特に芸も持たず、幼い頃から三味線や踊りを覚えるには
育ちすぎてしまった彼女を雇ってはくれません。
隣に誰も居てくれないまま死ぬのは、とても怖いことです。
こんな痛くて寂しい思いをするために生まれてきたのかと
何もかもを恨みたくなった、その時でした。