薄暮刻偽夫婦(うすぐれどき にせのめおと)
「これで、お前とは縁もゆかりもないってわけだ。」
「せいせいしたぜ。あの長屋ともおさらばさ。」
顔をそむけて、蔵之進は努めて明るく言います。
お紅はいつものように黙っていましたが、決心したように言いました。
「それが、長屋に徳太郎さんのお手紙があって。」
「もろもろの手間賃がかかったから、蔵之進さんに請求しますと。」
「返せないなら私としばらく、このままお仕事してほしいって……
あの、手伝ってはいけませんか。」
いつかのように、聞いているうち蔵之進が怖い顔になってゆきます。
まだ、居たいんです。
頭を深々と下げて頼み込むお紅の姿に蔵之進は怒るに怒れなくなります。
そして眩しくなってきた陽の光に、髷頭をばりばりと掻きました。
「徳太郎の野郎め。今度みてやがれ。」
「迷惑千万も千万だ。ちくしょう。」
世の中の片隅で、生きる道を見失いそうになった娘がおりました。
その娘がさしあたって自分の明日を見出したのです。
川に投げた身は流れ流れて貧乏長屋。
かりそめの夫に役者くずれのやくざ者を迎えて、今日も暮らしを営みます。
それからの彼らの話は、またいずれに。
薄暮刻偽夫婦・完