唇を濡らす冷めない熱
カッとなった先輩が手を振り上げると同時に、私の前に誰かが立ちふさがる。いいえ、誰かだなんて、私を庇ってくれる人なんて一人しかいない。
間違いなく、この後ろ姿は梨ヶ瀬さんのものだ。
「はい、ストップ! いくら頭にきても暴力は駄目だって分かるよね、篠根さん」
篠根先輩の上げた手は振り下ろされることなく、梨ヶ瀬さんに手首を掴まれそのままの状態になっていた。
力いっぱいに振り下ろされるはずだった腕を、梨ヶ瀬さんは軽々と止めてしまっていて。
「は、離してください! 私は別に暴力なんてっ」
焦ったような先輩の声に、梨ヶ瀬さんは優しく微笑んでこう言った。
「じゃあこの拳はどうするつもりだったの? 一度くらいなら目を付けるくらいで済ませようと思ったけれど、こんなに何度もだと許せなくなるのは当たり前でしょ?」
「何度もって……まさか、あの資料室の事も知って?」
表面上は笑顔でも梨ヶ瀬さんの持つ雰囲気がいつもとは違っている。その言葉の意味を理解した篠根先輩の顔から血の気が引いていく。
先輩の様子を確認しに来た他の女子社員も青い顔をしている。
「もちろん、彼女の協力をした君達も同じ。きちんとしたペナルティーが与えられるから覚悟してね?」
それだけ言うと梨ヶ瀬さんは篠根さんの手を放して、さっさと給湯室を去っていく。最後に「横井さんは後でミーティングルームに来て」とだけ言い残して。