唇を濡らす冷めない熱
「帰国って伊籐さんがですか? いったい何のために」
『他に誰の帰国をあんたに話す必要があるんだ? いいか、二週間後の金曜の夜の便でそっちに着く。八時に××空港まで迎えに来い』
はあ? なんで伊籐さんを迎えになんていかなきゃならないの、それも私が! もともと我儘な人だとは分かっていたけれど、最近は少し良い所のあるのかもなんて思い始めてたのに。
どうやら全部私の気のせいでしかなかったみたい。馬鹿馬鹿しくて通話を切ってしまおうかとスマホのディスプレイに指を伸ばした、その時……
『……紗綾に渡してもらいたいものがある、あんたにしか頼めないんだよ』
少しトーンを落として呟くように言われたその言葉の意味を私は何となく理解した。紗綾と御堂さんはもう結婚について考えている、多分そう遠くない未来にその日は来るだろうと私は伊籐さんに話してしまっていた。
「自分で渡せないんですか? 伊藤さんからの紗綾への贈り物なんですよね」
『は、いまさらどの面下げて。それにあいつらの幸せそうな顔なんて見たくもない』
嘘つき、紗綾に会いたくて仕方ないくせに。そう出来ない伊籐さんの不器用さが何だか胸に刺さるような気がした。なんとなく、私と伊藤さんは似ているところがあるのかもしれない。
「仕方ないですね、じゃあ飲みの代金は全部伊籐さん持ちってことでやってあげますよ」
『……ああ、頼む。店は自分で決めとけよ、俺は魚が美味いところがいい』
「はいはい、分かりましたよ。それじゃあ、また」
なんでか少しだけ楽しい気分になって、私は伊籐さんとの通話を終えた。気付けば随分時間が経っていて、そのままベッドに横になり眠りについた。