唇を濡らす冷めない熱
「あ、の……」
こんな風に上司に聞かれて、素直に「はい、そうです」なんて言える部下がいると思うの?割とハッキリ言う性格の私だっていくら何でもそれは無理。
何と返事をするか迷っているうちに、梨ヶ瀬さんが私のデスクに両手をついて上半身を近づけてきた。彼の両腕に挟まれて身動きを取ることが出来ない、この人はいったい何を……?
「だからね、この資料はここのデータを上手く使っていけば……ほら、これで出来るでしょ。ねえ横井さん、ちゃんと聞こえてる?」
「……っ、ちゃんと聞こえてます!」
何をする気なのかと思えば梨ヶ瀬さんは私のパソコンを操作して、私に頼んだ資料の作り方を教えてくれただけだった。それでも背中のすぐ傍に梨ヶ瀬さんの存在を感じ、なんだか落ち着かない。
こうして教えてくれたのは有り難いと思う、だけどその部下に対する優しさもわざとらしく感じるのはなぜなの?
「緊張してるんだ? 心配しなくていいよ、あれくらいの事でいちいち嫌がらせするほど俺は暇じゃないからね」
「別に、そんな事はっ!」
図星を刺された気がして少し焦った声が出る。だけど梨ヶ瀬さんは涼しい顔で私のデスクから両手を離すと、すぐに他の社員に呼ばれて行ってしまった。
……結局、彼はお手洗いでのことは気にするなと私に言いたかっただけ?