惡ガキノ蕾 二幕
   ~H31.4.28 インフルエンザ~
 四月二十八日。ゴ―ルデンウィ―ク二日目。世間はミレニアムを迎える時にも似たお祭り感漂う十連休の中。平成も今日を合わせて、残る処、後三日と相成った次第で御座いますが…。
 今回は生前退位と成って目出度くない訳が無いんだけど、この日のお昼に掛かってきた電話は、律っちゃんからの恐らくは平成最後であろう残念なお知らせだった。
「新型のインフルエンザになっちゃった」
 看護師という自分の立場を自虐的に見て可笑しかったのか、律っちゃんは電話中、終始楽しそうに話していた。「勿論予防接種は受けてたんだけど新型みたいでね」と言う言葉の"新型"の処は何故か自慢気にさえ聞こえる。
「大丈夫?何か困ってる事とか無いの?」とあたし。
「もうワクチンも打ったから、後は一週間位安静にしてれば問題無いんだけど、凜がねぇ…」
「うん」
「5月の4日から大会が有って、今移ったら大変だから…。なんてたって新型だしねえ」
「あ―、分かった。家《うち》で良ければ何時でも大丈夫。んで?何時頃来んの?」
「ごめんね。今日練習から帰ったら行かせるから、お願いしてもいい?」
「はいよ―。了解」
「ありがとね。じゃ、宜しくお願いします。」
 通話画面が待ち受けに切り替わると、横断歩道を走って行った凜の背中を思い出した。高校に通う凜とは二年生に進級して新学期が始まった事も手伝い、顔を合わすのはあの日以来となる。
 インフルエンザに掛かった律っちゃんは気の毒だけど、一週間凜が泊まりに来る…。ちょっと早いけど楽しみんみん蟬《ぜみ》。
「誰から?」
 ソファ―で足を伸ばしていた双葉が手元の画集から目を離すと、三十分振りに口を開いた。
「律っちゃんから。インフルエンザになったらしくて、凜泊まりに行かせるから宜しくって」
「へ―。いつまで?」
「一週間位で良くなる様な事言ってたけど…あ、4日から大会が有るとか言ってたから、それまでじゃない」
「…ふぅん」
 答えて双葉の視線は一度宙を泳いで又画集へと戻っていった。そして又、姉妹二人きりの静かな午後の時間が始まる。一樹は昨日の晩から太一達と泊まり掛で釣り旅行中。
 三十日に帰って来ると言って出て行ったから、昨日の夜から数えて三泊四日の行程。そんなに釣りって面白いんだろうか?全く余計なお世話だけど…。なんだか太一が近頃填《は》まって、他の三人がそれに付き合わされたのが今回の旅の要因らしく、力也とだんごはどうだか知らないけど、一樹は釣りなんてやるのきっと初めてだと思うんだよね、出掛ける前にちらっと見た限りでは。捩《ねじ》り鉢巻きに軍手嵌《は》めた長靴姿って、どっから見ても釣りってよりは漁師って感じだったもん。
 携帯を弄くり回す内に眠ってしまったあたし。起きるともう其処は、店の掃除を始めなきゃいけない時刻へと時が進んだ世界だった。双葉が掛けてくれたタオルケットをそそくさと畳んで、一階へと降りて行く。
「わぉ、はなみ~。ハッセナバシ~」
 カウンタ―でそれまで双葉のお客さんだったであろうみゆが、留まり木に胡座《あぐら》を掻いて座っていた。その前では灰皿に置かれた煙草から一匹の蛇に姿を似せた煙りが鎌首をもたげている。
「お疲れ様。みゆ」
 「はなみのとこは~、ゴ―ルデンウィ―クどうすんの~」みゆの声に合わせて煙りの蛇がふらゝと頭を左右に揺らす。
「一日《ついたち》から休むってきむ爺が言ってた」
 今日を入れて後三日。特別、あたしにはこれと言った予定も無いんだけど…。時代は変わっても、変わり映えのしない女、はなみ…って、ほっとけ。
「みゆのとこは今日から?」
「そ~。カレンダー通りに休んじゃうんだ~」
 片付けを済ませて座敷から降りて来た双葉が、みゆの"んだ~"に表情を消す。思わず言ってしまったオヤジギャグに息を呑んだみゆが、自分の"んだ~"がもう取り返しの付かない事に気付いて、同じく表情を消す。食事にでも行くのか、押し黙った能面の様な二人が連れ立って店を出て行った。
「よっしゃ。んじゃ一丁やりますか」声に出して言ってから煙草に火を点ける。まずは一服してからにすんだ―。声には出さず言ってみたのだった。
< 6 / 29 >

この作品をシェア

pagetop