あなたのためには泣きません
自宅の最寄り駅を告げると、

「なんだ、俺と同じ沿線じゃん」

と言いながら、ホームへ向かう。
帰宅時間ではあるものの、少し早いからか、いつもの混雑よりは空いていて、
私たちはドア近くに並んで立った。

さすがの5月でも、外は夕暮れになってきた。
規則正しい電車のリズムに揺られながら、私はぼうっと窓の外を眺める。
泣きすぎた頭は、じんじんと鈍い痛みがする。

「で?号泣の原因は?仕事?」

「いえ、、、、プライベートです」

「ばあちゃん死んだとか?」

「なんでおばあちゃん出てくるんですか」

佐川さんと並ぶと、私の顔は見上げなければ目が合わない。
ああ、佐川さんも背が高いんだな。山中さんと同じくらいかな。

「俺、ばあちゃん子だったから」

「、、、、違います。おばあちゃん、ものすごく元気で、今日もゲートボールで憎らしいライバルチームをやっつけたと昼にラインが来てました」

「元気なばあさんだな」

「はい」

1つ駅が過ぎ、人が入れ替わる。
乗ってきた女子高生たちが、佐川さんを見るとひそひそと楽しそうに顔を寄せ合っている。

「犬が死んだとか?」

「、、、、、佐川さん、犬お好きなんですね」

おばあさんの次は犬か
この人、顔に反して割と天然なのかもしれない。

「実家にでっかいのがいる。ボルゾイの。勝次郎って名前」

「立派なご実家で、立派なお名前ですね」

ボルゾイなんて、貴族にしか飼えない犬だと思っていた。庭が甲子園くらいあったりするのかな。

「犬も、元気です。雑種ですが。ティファニーって名前の。あ、ネーミングは母です」

そう。実家には、私が小学生の頃に拾ってきた、雑種の犬がいる。
飼いたいといってきかない私に、ネーミング権を譲るならという条件で母がOKを出した。
典型的な雑種犬の容姿に対して、たいそうな名前だけれど、母はティファニーが好きで、記念日にはいつも父にこのブランドのものを贈ってもらっている。

「じゃあ、、、、男?」

「どっちかというと、そっちです」

オトコ

佐川さんから発せられる単語の響きに、違和感がものすごい。
オトコ
山中さんとのことは、そういう種類のものなんだろうか。

「ふーん」

ちっとも興味なさそうな返事に、私は無言でいた。
目的の駅についたころには、日はすっかり西に傾いていて、夕日がビルの長い影を作っている。

「もう、ここで結構です」

という私に、ちらっと腕時計をみた佐川さんは

「もうちょっと時間稼ご」

と言いながら、「近くのコンビニまで行くわ」と勝手に歩きだしてしまった。

私の家ご存じなんですか!?

「あのっ ちょっと待ってください!」

あわてて横に並んで歩く。
しかし、この1時間ほど一緒にいて、佐川さんの容姿がいかに注目を集めるのかを思い知った。
さっきの女性なんて、二度見していたもの。

涼香ちゃんもすごいけれど、視線を送るのは意外にも男性より女性のほうがあからさまなのかもしれない。

「えっと、10分くらい歩きますよ」

「いいよ。別に」

無言のまま、通りを歩く。
私の家の近くのコンビニは、まさに私のマンションの下にある。
通りをただ直進するだけだけれど、そこまで付き合わせて申し訳ない。

「別れたってこと?」

「え?」

電車内の話の続きだとわかるまで、すこし時間がかかった。

「あ、、、いえ、、、そうではなくて」

「ふられた?」

「、、、、いえ、、、いや、そうです。けど、そうじゃないような」

「なんだそれ」

この状況をなんと言うのだろう。

「勝手に、好きだったんです。その人のこと。ずっと、好きだったんですけど」

と言葉につまった。鼻の奥が、またツンとしてくる。

「、、、、、結婚、されてました。知らない間に」

情けなくも、語尾が震える。
知らない間に。結婚だけじゃない。山中さんが恋愛していたことも、私は知らなかった。

「つまり、片想いしてたけど、相手が知らん間に結婚して、玉砕ってこと?」

「はい」

言葉にしてしまうと、なんともあっけない。
あっけないんだけど、、、、、

「ふーん。まぁ、騙されて既婚者と付き合うよりましじゃねぇ?」

「、、、、、、2年間想ってたんです。」

「はあ!?2年も黙ってたってこと!?」

佐川さんが立ち止まる。
目的のコンビニはもうあと50メートルだ。

「はい」

2年を、長いととるか短いととるかは人それぞれだけれど。
佐川さんにとっては驚異的な時間だったらしい。

「おまえ。よくそれで営業務まってるよな。2年の間に、相手の情報とか入るだろ」

なんだか、仕事のお説教のような内容になってきた。

「見てたと、思ってたんです。知ってると思ってたんです。でも、、、、」

でも、、、、、なんだろう。
でも、だめだった?でも、間違ってた?

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