無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
部屋からからバラ園を眺めていたエルは、いつもと違った足音がすることに気が付いた。
ミラルカでもない。ファビオでもない。聞いたことがない音だ。
足音は二人分。一人はミラルカだ。もう一人は────。
やがてノック音がした後、ドアがゆっくり開き、ミラルカが姿を現した。
「こんにちは。今日はルーシーを連れて来ましたよ。前にお話ししたでしょう? さ、ルーシー」
ミラルカが促すと、ミラルカの後ろから女性が姿を表した。
女性は最初部屋を見まわした後、エルの姿を見つけニッコリと笑った。長い黒髪を三つ編みてまとめ、眼鏡をかけている。歳はエルより年上のようだが、若く見えた。
ルーシーは窓際にいたエルにゆっくり近づくとお辞儀をした。
「こんにちは。仕立て屋のルーシーと申します」
ルーシーは右手を差し出し握手を求めた。
エルは一度ミラルカを見た。ミラルカが笑っていたのを確認し、おずおずと左手を差し出した。
「じゃあ私は飲み物でも持ってきますから、ゆっくりしてて下さいね」
突然二人きりにされてエルは困った。
ルーシーの話はいろいろ聞いていたから、彼女がどんな人物かは知っている。
だが、「人」そのものにまだ慣れていないため、どうしても不安になってしまう。
エルが困っていると、ルーシーは部屋に置いてあった椅子を二つ持って来て窓際に置いた。
「座って話しましょう。えーと、私もエル様と呼んでいいですか?」
エルは小さく頷き、筆談用に使うペンと紙を持ってきた。
「よし。私のことはミラルカさんから聞いてるんですよね? 私ここから少し離れた街で仕立て屋をしてるのです」
『どんなことをするんですか?』
「服のデザインをするんです。普段着る服やドレスが多いですね」
『どんなふくをつくるんですか』
「見てみますか?」
ルーシーは持ってきた大きなバッグの中から革のファイルを取り出した。
「どうぞ、好きに見ていいですよ」
ずっしりとした重みの革のファイルの中にはたくさん紙が入っていて、その一つ一つに絵がが描かれている。
エルはこんなものが描けるんだと思った。
「どうです?」
『すごいです。きれい』
「ありがとう。気にいったものはありますか?」
エルはファイルの中の一枚を指さした。緑色の、すらりとしたラインが特徴的なドレスだった。
「分かりました。じゃあ、これを作りますね」
そう言われてエルは驚いた。そんなつもりで言ったのではなかった。
「エル様の着る物がないって聞いてたから。ずっと同じものを着るわけにはいかないでしょう?」
正直なところ、ずっと同じものを着た生活を送っていたので今のままでも構わないと思っていた。
何着も服があるなんて贅沢なことだし、お金もかかる。世話になっている侯爵にそんなわがままは言えなかった。
「大丈夫ですよ。私もお仕事がもらえてとっても嬉しいんです。だから作らせてください。ね?」
申し訳ないという気持ちは消えなかったが、ルーシーはその方が助かるのだろうし、わざわざ呼んでくれたミラルカに申し訳ない。エルは言う通り服を作ってもらうことにした。
ルーシーは聞いていた通り優しい、お喋り好きな女性だった。
最初こそ怖かったが、ミラルカが紅茶を持ってくる頃にはすっかり打ち解けていた。
その中にミラルカも加わり、三人で世間話をした。
「じゃあエル様の名前は旦那様がくれたんですね。旦那様、気難しい方だけど根はとても良い人なんですよ」
「無口で社交性がないところがたまにキズですが」
と、ミラルカが苦い顔をして言った。ルーシーはおかしそうにぷっと吹き出した。
「エル様は旦那様に会ったことはないんですか?」
ない、とエルは頷いた。
なんとなく二人は侯爵に会って欲しそうに思えて、気分が滅入る。悪い人ではないと散々聞かされていても、男は怖かった。いつかのことを思い出してまた体が強張る。
慌ててルーシーがフォローした。
「うん、仕方ないですよね。別に今すぐ会わなくたっていいですし」
「でもお礼は言った方がいいと思いますよ」
ミラルカの言う通りだ。これだけ世話になって、いまだにお礼の一つも言えていない。
だが、会えないためお礼を言おうにも言えなかった。ミラルカ越しでは誠意は伝わらないだろうか。
「そうだ! 直接言うのがダメなんですよね? なら手紙はいかがでしょう?」
「手紙?」
「エル様が書いた手紙をミラルカさんが渡すんです。文通みたいにしたらどうでしょうか」
二人はきゃっきゃと盛り上がっているが、「ぶんつう」が何か分からないエルにはなんのことだかさっぱり分からなかった。
一人首を傾げていると、ミラルカが説明してくれた。
「文通とは、手紙をお互い交換し合うことです。そうね、それならどうでしょう?」
手紙ならば直接会うことはない。文字は苦手だが、このまま何もせずにいるよりはいいだろう。
「では、私がお渡ししますからお好きなことを書いて下さい。お礼のことなり他のことなり。そうですね、まずは『初めまして、先日は素敵なバラ園をありがとうございました』、とかかしら?」
そばでミラルカとルーシーにアドバイスされながらエルはネリウス宛に手紙を書いた。
書いたといっても短いものだ。字も上手く書けないから出来栄えはよくない。ただ、心は込めた。
手紙はミラルカ伝いにネリウスへ渡されることになった。
ミラルカでもない。ファビオでもない。聞いたことがない音だ。
足音は二人分。一人はミラルカだ。もう一人は────。
やがてノック音がした後、ドアがゆっくり開き、ミラルカが姿を現した。
「こんにちは。今日はルーシーを連れて来ましたよ。前にお話ししたでしょう? さ、ルーシー」
ミラルカが促すと、ミラルカの後ろから女性が姿を表した。
女性は最初部屋を見まわした後、エルの姿を見つけニッコリと笑った。長い黒髪を三つ編みてまとめ、眼鏡をかけている。歳はエルより年上のようだが、若く見えた。
ルーシーは窓際にいたエルにゆっくり近づくとお辞儀をした。
「こんにちは。仕立て屋のルーシーと申します」
ルーシーは右手を差し出し握手を求めた。
エルは一度ミラルカを見た。ミラルカが笑っていたのを確認し、おずおずと左手を差し出した。
「じゃあ私は飲み物でも持ってきますから、ゆっくりしてて下さいね」
突然二人きりにされてエルは困った。
ルーシーの話はいろいろ聞いていたから、彼女がどんな人物かは知っている。
だが、「人」そのものにまだ慣れていないため、どうしても不安になってしまう。
エルが困っていると、ルーシーは部屋に置いてあった椅子を二つ持って来て窓際に置いた。
「座って話しましょう。えーと、私もエル様と呼んでいいですか?」
エルは小さく頷き、筆談用に使うペンと紙を持ってきた。
「よし。私のことはミラルカさんから聞いてるんですよね? 私ここから少し離れた街で仕立て屋をしてるのです」
『どんなことをするんですか?』
「服のデザインをするんです。普段着る服やドレスが多いですね」
『どんなふくをつくるんですか』
「見てみますか?」
ルーシーは持ってきた大きなバッグの中から革のファイルを取り出した。
「どうぞ、好きに見ていいですよ」
ずっしりとした重みの革のファイルの中にはたくさん紙が入っていて、その一つ一つに絵がが描かれている。
エルはこんなものが描けるんだと思った。
「どうです?」
『すごいです。きれい』
「ありがとう。気にいったものはありますか?」
エルはファイルの中の一枚を指さした。緑色の、すらりとしたラインが特徴的なドレスだった。
「分かりました。じゃあ、これを作りますね」
そう言われてエルは驚いた。そんなつもりで言ったのではなかった。
「エル様の着る物がないって聞いてたから。ずっと同じものを着るわけにはいかないでしょう?」
正直なところ、ずっと同じものを着た生活を送っていたので今のままでも構わないと思っていた。
何着も服があるなんて贅沢なことだし、お金もかかる。世話になっている侯爵にそんなわがままは言えなかった。
「大丈夫ですよ。私もお仕事がもらえてとっても嬉しいんです。だから作らせてください。ね?」
申し訳ないという気持ちは消えなかったが、ルーシーはその方が助かるのだろうし、わざわざ呼んでくれたミラルカに申し訳ない。エルは言う通り服を作ってもらうことにした。
ルーシーは聞いていた通り優しい、お喋り好きな女性だった。
最初こそ怖かったが、ミラルカが紅茶を持ってくる頃にはすっかり打ち解けていた。
その中にミラルカも加わり、三人で世間話をした。
「じゃあエル様の名前は旦那様がくれたんですね。旦那様、気難しい方だけど根はとても良い人なんですよ」
「無口で社交性がないところがたまにキズですが」
と、ミラルカが苦い顔をして言った。ルーシーはおかしそうにぷっと吹き出した。
「エル様は旦那様に会ったことはないんですか?」
ない、とエルは頷いた。
なんとなく二人は侯爵に会って欲しそうに思えて、気分が滅入る。悪い人ではないと散々聞かされていても、男は怖かった。いつかのことを思い出してまた体が強張る。
慌ててルーシーがフォローした。
「うん、仕方ないですよね。別に今すぐ会わなくたっていいですし」
「でもお礼は言った方がいいと思いますよ」
ミラルカの言う通りだ。これだけ世話になって、いまだにお礼の一つも言えていない。
だが、会えないためお礼を言おうにも言えなかった。ミラルカ越しでは誠意は伝わらないだろうか。
「そうだ! 直接言うのがダメなんですよね? なら手紙はいかがでしょう?」
「手紙?」
「エル様が書いた手紙をミラルカさんが渡すんです。文通みたいにしたらどうでしょうか」
二人はきゃっきゃと盛り上がっているが、「ぶんつう」が何か分からないエルにはなんのことだかさっぱり分からなかった。
一人首を傾げていると、ミラルカが説明してくれた。
「文通とは、手紙をお互い交換し合うことです。そうね、それならどうでしょう?」
手紙ならば直接会うことはない。文字は苦手だが、このまま何もせずにいるよりはいいだろう。
「では、私がお渡ししますからお好きなことを書いて下さい。お礼のことなり他のことなり。そうですね、まずは『初めまして、先日は素敵なバラ園をありがとうございました』、とかかしら?」
そばでミラルカとルーシーにアドバイスされながらエルはネリウス宛に手紙を書いた。
書いたといっても短いものだ。字も上手く書けないから出来栄えはよくない。ただ、心は込めた。
手紙はミラルカ伝いにネリウスへ渡されることになった。